なにそれ経営者のブログ

仕事と彼女と人生観

とりあえず付き合ってみる論

誰かがいなくなってその人の必要性を感じるみたいな話は、一緒にいたときには自分が意識していなかったところでその人の影響を受けていたことの裏返しで、ここから言えるのは、自分が意識的に感じていることはごくわずかだということ。

よくできたボスは、部下に「できる」と思わせることが上手くて、気がつかないところでバリューを発揮できるようかなり調整しているのも同じ。部下がそれを知らずに自分の力だと錯覚して飛び出してみると自分の力じゃなかったんだと気がつくことは多い。

サッカー選手なんかも、チームにフィットしてパフォーマンスを発揮できていただけなのか、個の力が優れていたのか、もちろん両方必要だけど、あまりにチームに依存していた場合は、移籍するとそのチームの戦術に馴染めなくて成功できないことがある。

まったく同じ味だったとしても店で食べるのと家で食べるのとで、違う味に感じるのもそれ。わかりやすい感覚として「味」だけに着目して再現しようとしても味以外の部分で多くのことを感じてしまっており、しかもやっかいなことに無意識で感じたことも味に影響を及ぼしている。

歴史的な演説も残っているのはテキストだけかもしれなけど、その時代の空気感とともにすべてを含めてあるから人を動かしたわけで、後世の人間が映像や音声で見返したとしてもその時代に当事者として生きた人のリアルには及ばない。

「とりあえず付き合ってみる」のロジカルな説明は、付き合ってみないとわからないことがたくさんあるから。だけど、付き合ったとしても意識的に感じられることは限られているので、このロジックでいけば「とりあえず別れてみる」ことも、別れてみないとわからないことがたくさんあるという理由で正しい。

100が自分の力だと思ってたけど、じつは80くらいで20は自分以外の力だったみたいに離れてからみえてなかった力に気がつく法則になんかいいネーミングをつけたい。この法則が適用できる現象はいろいろありそう。