なにそれ経営者のブログ

女の子は好き。でも結婚したくない。

信頼とは何か

周りの人間を信頼できない(正確には自分の身を守るために信頼しないほうがよい)状態で「最近は人間不信です〜」とか言っているけど、人を信頼しないとその分取引コストが高くなり、多くの無駄が発生する。このもどかしさは、社会的に信用リスクが著しく低下した状態を経験したひとにはなんとなく同意してもらえるような気がする。

ぼくのなかでの信頼は「自分の意図とは関係なく、問答無用でそのひとの言うことが信じられる」と定義している。本来「誰が言っているか」より「何を言っているか」のほうが本質的で、事実をもとに自分で判断すべきだけど、全部自分でというのは無理があるのである程度信用できる人の言っていることは「誰が」を判断材料としてそのまま受け入れる、という態度である。

信頼と安心

山岸俊男さんの「信頼の構造」におもしろいこと書かれていたので以下、引用。

信頼とは、社会的不確実性が存在しているにもかかわらず、相手の(自分に対する感情までも含めた意味での)人間性ゆえに、相手が自分に対してそんなひどいことはしないだろうと考えること。
安心とは、そもそもそのような社会的不確実性が存在していないと感じること。
※社会的不確実性:相手の意図についての情報が必要とされながら、その情報が不足してる状態を「社会的不確実性」が高い状態。例えば、レモン市場で、買い手は売り手に対する情報(売りつけようとしているか、騙すつもりがあるかなど)が不足している。

 

結婚と安心

結婚が安心だという説は確かにそう思う。冒頭の取引コストの話に戻ると、正直ひとを信頼したいし、信頼したほうが楽なので、個人的にはせめてプライベートでは信頼できる人間を周りにおきたいという欲求が結婚願望にちかいものなのかもしれない。

だけど山岸さんも指摘しているとおり、信頼と安心は別のものである。

この人は自分と相性がよさそうだな、いい人そうだなみたいな感情から、この人とずっと一緒にいたい、いつも近くにいてほしいという感情への移り変わりは、信頼から安心への移行かもしれないけど、安心は信頼なくして成立してしまうというトラップがある。

仕組みや契約でがっちり固めてしまうと、逆に信頼は必要なくなる。そもそも固めるのは根本的には相手を信頼していないからで信頼がなくても安心は成立してしまう。

お互いが心理的につながっていれば結婚なんていう契約はいらねんじゃねーかと反発したくなるのはこういうところからきているのかもしれない。

彼女と奥さん

彼女から奥さんになったら変わるという人もいるし変わらないという人もいる。変わる派からは例えば「距離感が保てない」という意見を聞く。超接近してべったりになると逆に冷めるというもの。安心は、ある意味で「確信」に近いところがあって、明日も太陽が昇るだろうくらいの境地でそこまでになると相手への興味が薄れるのは自然なことだ。

相手を疑っているほうが緊張感があっていい関係を維持できて、それがいわゆる「距離感」を保つということだと思う。100パーセント相手に身を委ねて安心感がある一方で、ほどよい距離が保たれていて信頼感もある、みたいな関係が理想ではあるけど、これはめちゃくちゃに難易度が高い。

結論

信頼と安心という矛盾するふたつの現象を両立させるのが結婚なのかもしれない。