なにそれ経営者のブログ

女の子は好き。でも結婚したくない。

ひとことの重み

好きな人に好きと言われると天にも昇る気持ちになり、そうでない人に同じことを言われてもたいして反応しない。この差はなんなのか。

発言者に勝手に自分で優劣をつけているだけで、客観的にはほとんど違いはないのに、一喜一憂させられている。差はないようでいてある。おおいにある。

好きという意味はフラットなのに、誰が言ったか、ということがめちゃくちゃ大きなウエイトをもっていてずしりとぶつかってくる。レバレッジがめちゃくちゃ効いてて、その威力は半端ない。

影響力の比率は、誰かと共有しているわけではないから他人からすればどうでもいいことなんだけど、自分の心のなかで大きな位置を占めている人とそうでない人がいる。言葉を平等には扱っていない。いい人なんだけど自分には無理、みたいな人の発言は響かないし、信頼できる(信頼できると思い込んでいる)人の発言はひとことが重い。

意味付けをしているのは自分で、自分が自分で決めた意味に喜んだり悲しんだりしているという滑稽な事象なんだけど、実際そうなのだから仕方ない。思春期にちょっとした子の発言で勃起するみたいなインパクトは、言葉の破壊力の一例だろう。

王様と奴隷みたいに社会的階級によって強制力をもたせて、共通認識で比率を高めているケースもあるけど、純粋に心の底から突き動かされる衝動は基本的には自分のなかで自然にうまれている。うまれてきてしまう。

感情の起伏に左右されるのが面倒くさいので、なんかちょっと引いてそういうのに影響されないように振舞ってはみるものの、やっぱり感情は切り離せない。

誰かが「あらゆる事象に意味などない」と言っていたが、人間は、違いがほとんどないものに対して違いを見い出し、その違いに意味付けしている。非常に空虚な増幅をしている。そう考えると、悩むことは無意味だとわかり、救われる。