なにそれ経営者のブログ

仕事と彼女と人生観

結婚というフィクション

国家の捉え方のひとつに、同じ国に住んでいたら同じ国民だという「国民国家(ネイションステイト)という概念があるらしい。結婚もそれに近いと思う。

つまり、国なんてのは、無根拠なフィクションで必然性など存在しない。人々の共通認識、言い方を変えれば「思い込み」によって成り立っている。そうやって一括りにしたほうがなにかと便利だから歴史がそうさせた。

結婚も制度だからフィクションに過ぎない。ペアにして登録しておいたほうが、社会で生活するうえでは便利だから第三者に届け出をしている。

付き合うことと結婚することで、決定的に違うのは、双方の合意を第三者に公開しているという点にある。

◯恋愛の延長線上に結婚はない

婚姻届を提出するという行為そのものが結婚の本質的なところだと思う。にもかかわらず、一般的にはメンタリティと結びつけていて、結婚式なるものがあり、祝福したりされたりしている。付き合うという双方の合意ができたときも同じくらいおめでたいことなのに(いちいちそんなこと構ってられないという現実問題もあるけど)私たち付き合います記念会みたいなことはあまりない。

付き合ってから愛を育みゴールインするみたいなストーリーは美しいけれども、付き合うというメンタリティの話と結婚という制度の話は別次元であって、そもそも比較対象としておかしい。

とりあえず結婚しましたというのは簡単にできる。気持ちがあってもなくても結婚はできる。ただ、会社をつくったあとに売上をつくって事業を持続させることのほうが難しいように、結婚にもその先を共につくっていくことのほうが難しいように思う。中神先生の「買ってからが勝負」は結婚したことないぼくでさえまさにと思う。

会社であれば営利目的なので、法人にするメリットはあり、第三者に会社作りましたと届け出る意味はわかるけど、私たち結婚しますと届け出る意味はどこにあるのか。経済的に自立した2人がわざわざ苗字を変えてまで一緒になる意味は何か。