読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

なにそれ経営者のブログ

女の子は好き。でも結婚したくない。

求人広告で「仕事内容→給与」という順番は間違っている

人の値段はわからない。なぜなら値段なんてないから。決めるしかない。決め方の方法論の話で、その1つの方法が、この仕事でだいたいいくらという説明。市場価格という幻想があって、このくらいの値段なら売れる、という比較対象を持ち出して、だいたいそんなものだろう、という感覚。だけど、そもそも市場の範囲や比較対象もあいまいなので、同業者と比べる必然性などどこにもない。

組織の金回りを考えれば、本業のビジネスをやって、余った金をどう配分するかだけの話で、適当に決めている。キャッシュが100万残るなら10万くらいが妥当かな、という判断だし、1000万残るなら100万くらい使ってもいいか、ともなる。パーセンテージの相対感だけど、一方で本人の肌感覚はあって、例えば、人ひとりに1億とかになると多いと感じたりもする。だけど、それも所詮感覚なので、もちろん安いと感じる人もいる。クリスチアーノロナウドだったら、100億稼ぐからそのエージェントが手数料10億貰っても高くない。

ある人の年収が公開されて、あーだこーだ騒がれることもあるけど、いくら稼いでいるからこれくらいは貰って妥当だろう、という考え方ができる人は別に違和感はない。突き詰めれば分配比率の妥当性や納得感の話。全員一律という会社もあるけど、それはそれで筋は通っている。

仕事が提示され、それに対して報酬がきめられているというのは、創造性のない人がやる定型的な仕事です、と言っているようなもので個人的にはあまり魅力を感じない。プロフェッショナルな職業はほとんど、給与は要相談にならざるを得ない。

最初にいくら稼ぐかを決めて、そのためにはいくらのサービスにするか、いくらで売るか、とするほうが順番的には正しい。自分の値段は、自分で決めるべきである。

仕事があって、お金がうまれ、人がふえる。お金をうまない人は、値段を他人に決められる。逆に、お金をうむ、つまり仕事をつくる人は、値段は自分で決めるしかない。ここまでくると、事業の売値もこれまた適当だから、お金に執着しない人間は、面倒くさくなって事業と個人の報酬は直接リンクさせない。人事評価やってる時間あるなら仕事しろよと。

人の問題はずっとついてまわるから世の中には人事という職種があるだろうけど、仕事するひとが全員主体的であれば、そんな管理コストなんていらなくなるはず。ベーシックインカムとかで最低ラインを保証して仕事したいひとだけ仕事すればいいじゃねーかと。人事部のない会社の形態が究極の理想。