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なにそれ経営者のブログ

女の子は好き。でも結婚したくない。

ネットの大衆化と闇の表現

人間のもつ闇の部分はどんな媒体でどうやって表現するのが適切か問題。

いまのところ文学作品で、結局言いたいことはなんだよ!と煮え切らない表現でだらだらと同じようなこと書き連ねているものがリアルな闇の表現に近い。それをショートカットしてサマってもピントがズレる。人間のもつダークな部分の表現は少なくともいまのネットに馴染まない。

本来ネットはカオスでぐちゃぐちゃなものをそのまま表現できるようなインターフェースだったように思うけど、みんなが当たり前のように使うようになってから、わかりやすい、みやすい、論理的に正しい、みたいな方向に進んでいる。個と個のつながりとはいえ、大衆化が進んでいて、同じようなツールを使って同じようなコミニュニティで同じような会話をしているようにみえる。

仮にそうだとすれば、ある問題に対して、多くの人が納得するような答えにならざるを得ず、世の中には個別事例でやっちゃいけないことなんてめちゃくちゃあるし、小さなコミニュニティで是とされているけどほんとはダメだよね、ということもあるけど、そういうのが表沙汰にされても、大衆の論理、いわゆる正論に飲み込まれて窮屈に締め付けられるだけ、ということになる。

表面をなぞったところで当事者の深い闇の部分は簡単には理解できないだろうし、わかった気になって解決策を提示してもまるで意味がない。そんな簡単な解決策なんて現場の人間からすれば考えてないわけないから、それでもダメだからいま問題になってんだよ、ということを真摯に感じるべきと思う。

表沙汰にされることで前向きに議論されて有効な解決策が提示されるならまだしも、たいてい当事者ではないわけで、第三者は正論だけ言ってりゃいいけど、現場の人間からすれば、そうは言ってもできないから困ってるんです、という状況なので、なんのプラスにもならない。むしろ、外部の目にさらされることでやりにくくなることのほうが多い。

サブカル的にロックなカルチャーを重んじてそれをそのまま表現するようなメディアを育てるべきと思う。あるいは闇の人間どうしを規制せずにピンポイントにつなぐようなインターフェースがいまこそ求められている気がする。

ネットやSNSはインスタントで、短くて速い表現には馴染むけど、長くて遅い表現には馴染まない。あとからじわじわくるみたいな文学作品のような表現をネットから得られないか。

そう考えたときに、その場で瞬間的に知識を増幅させることはできないから、閲覧者の経験値を使って合わせ技で完結させる方法をすぐに思いつく。履歴から興味のありそうな記事が表示されるというサービスがあるけど、あれはその人に入り込んで、親和性の高い記事を見せることで深い共感をつくりだしている。

履歴がない人に対して興味のありそうな記事を表示するアルゴリズムはどこまで研究が進んでいるのだろうか。記事に限らず、例えば感性に訴えかけて、経験がなくても一瞬で感じられるような表現は何か。

結論:もやもや