なにそれ経営者のブログ

仕事と彼女と人生観

絶望のなかで限りなく前向きに

映画「君の名は」をとりあえず観ておかなくちゃと謎の衝動にかられ、この年末年始にようやく観に行った。ぼーっと観てしまったせいか「難しくないかこの話?」というのが第一印象。何も考えずに泣けることを期待していたのだけど、始まる前にやっていたぜんぜん関係ない「チアダン」の宣伝のほうがウルっときた始末。おれの感受性はどうなっとんや。これをすっと理解できるひとに素直に憧れる。

泣けなかったのがなんだか消化不良だったから、続けざまに前から気になっていた「四月になれば彼女は」を一気に読む。こちらは文句なしによかった。藤代や弥生、純、奈々、タスク、大島さん、そしてハルで、自分に重ねられる感情がいくつもあって、それが会話のなかでわかりやすいコトバで表現されているから、うんうんそうだよな、と唸らされる。

藤代と弥生の想いがはじめて重なるシーンで、お互い仕事を休んで抱き合ったという描写があった。ぼくも昔、付き合いたてのころ、一日中彼女とベッドで過ごしたことがある。何回ヤッたのかは忘れたけどチンコがひりひりした淡い思い出。その瞬間は幸せなはずなのに、これが長くは続かないだろうなという冷静な自分もいて、その瞬間を100パーセント幸せだと感じることができなかったことを覚えている。

恋には波がある。そしてどれだけ幸せだと感じていてもそれは長続きしない。奈々にしろ、タスクにしろ、その冷徹な現実と折り合いを付けられている人間と、頭ではわかっていながらまだちゃんと受け入れられていないのが、藤代であり、弥生であると思った。

映画「卒業」のラストシーンで、藤代がハッピーエンドだと言ったことに対し、タスクが真逆の絶望的だと指摘するシーンは、めちゃくちゃ鋭い。「でもそうじゃないですか ?たぶん彼らにとって恋のピ ークは間違いなく駆け落ちした瞬間で 、そこからは坂を転がり落ちていくしかない 」

また、藤代が第三者として聞かせていた話は先生のことですよねと見抜かれるシーンで奈々は「ほとんどの人の目的は愛されることであって 、自分から愛することではないんですよ」「その妹さんはセックスによって愛を確認することなんてできないと思っているんでしょうね 。確かに 、それが愛のあるものなのか 、愛のないものなのかは 、どこまでもわからない 」「お互いが同じ想いであるかどうかは 、最後まで確認することはできないしね 」と言っている。

これなんかは、エーリッヒフロムが「愛するということ」で何十年も前から言っていたことを想起させられるし、自分の恋愛遍歴的にも真実だと思えた。物語では一貫して、恋はとても儚いものとして描かれている。それでも心のどこかでは孤独で誰かからの愛を求めてしまう。葛藤。絶望的状況を現実として捉え、そんな現実でも「限りなく前向きに」と日常に戻っていく奈々はとても凛々しかった。なぜだかぼくは主人公ではないはずの、タスクや奈々の印象が強く残っている。