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なにそれ経営者のブログ

女の子は好き。でも結婚したくない。

追いつかないと追い越せない

思想は引き継がれない。なぜそれが作られたかという本質的なところは、外側の規制や制度、仕組みができたあとは薄まっていく。自らが設計し最先端を走り続けていればその基本的な思想がありありとわかるが、汎用性をもち、一般化してくるとわかりやすい面だけが強調され、外からその一面だけを捉えると本質を見失う。いわゆる思想が「形骸化」する。
水野氏の「法のデザイン」を読んで"law lag"(法律の遅れ)という言葉を知った。社会が発展して従来の法律ではカバーしきれなくなる現象を指すのだそう。「法という性質上、原則として現実の後追いしかできない」。だからこそ、自分たちが法律を追い越し、その余白を解釈したり、グレーな部分をシロクロはっきりさせるルールを制定したり、いわゆる「リーガルデザイン」が必要だと述べている。

『そもそも契約における三大原則の1つである契約自由の原則は、まさしくリーガルデザインそのものである。契約自由の原則とは、私人は、公序良俗に反しない限り、国家が決定する法律に縛られず、自由に双方の合意を実現してよい、という民法の大原則である。しかし、現代においては大企業が作成した契約書の雛形や一方的に定められた利用規約、大家が作成した定型的な賃貸借契約書に一方的にサインさせられるケースがほとんどである。その結果、契約と言うものがそもそも当事者双方の行為を実現していくために忠誠を重ねていく、合意形成やコミニュケーションのための手段であると言う認識すら有していない一般市民がなんと多いことか。すなわち、本来大原則であるはずの契約自由の原則は形骸化し、私たちは契約が自由にデザインできるものであることを忘却してしまっている。その意味では、リーガルデザインの思想は、現在世界的に蔓延している、企業が一方的に突きつけてくる規約・約款やシュリンクラップ・クリックラップ契約と言う悪しき慣習から私たちを解き放つと言う要素もある。』

言われてみればもっとな指摘であり自分の感覚としてもとてもしっくりくる。しかしながら、そもそもこちら側がやりたいことありきで、法律をデザインしていく行為はかなりハイレベルである。まずは法律に追いつかないと議論することすらできない。そして追いついて追い越していかないと、法律は重荷にしかならない。
与えられたルールの範囲内でプレーすることは悪いことではないけれど、そこには創造性を入れられる余地が少なくおもしろくない。ネガティヴに捉えれば、ルールにフィットさせるテクニックで稼ぐのか?という思考にもおちいる。現にぼくはいまそこで思考停止してしまっているように思う。誰かが作った面倒なルールに適合させることがめんどくさくて、形式主義やら前例主義やらという批判をしてストレスをためている。
水野氏はルールを「超えていく」というマインドが大切であると主張されており、この考え方に救われた。何度も読み返したい。

 

参考)水野祐「法のデザイン」