なにそれ経営者のブログ

女の子は好き。でも結婚したくない。

見えている景色

見えている景色こそが器のデカさであると思う。社長は縛られないというのは明らかにウソである。たしかに内的な指示命令系統として自分の上はいないが、そもそも会社は社会を構成する一部に過ぎない。社会に対して、具体的にはステークホルダーに忠実でなければならない。お客様がいて、株主がいて、従業員がいる。たいていの場合、彼らの要求をすべて同時に満たすような選択はできず、何を優先させどういった意思決定をするかは当事者である社長に委ねられているものの、完全なる自由だというのは間違っている。目の前の(敵も味方も含めた)人たちに忠実でなければ単なる暴君でしかない。暴君は歴史的にみても必ず破滅につながる。社長はむしろ従業員より縛られるものが多いという点では窮屈なのかもしれない。

山登りをしている過程では頂上しかみえておらずあまり気がつかないが、山頂から見渡せば、広大な空が広がることに気がつく。ひとつの山を制覇したところで世界の広さを思い知らされるだけである。裏を返せば山登りの途中でも空を見ることはでき、そこに気がつくことができれば、どんな肩書であれ社長と同じようなメンタリティをもつことはできる。ゲームのルールが多少複雑になる程度でやっていることは本質的には変わらない。そういう意味では、会社のメンバーがやるべきことに対しては全員がフラットである。

尾崎豊が15の夜で「自由になれた気がした」と言っているのは秀逸で、あくまで気がしただけで、真に自由にはなっていない。この社会で生きていく限り、誰にも支配されず自由にはなることなどできない。この無力さ、悲しさみたいなものにすでに気づいているところに泣ける。