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仕事と彼女と人生観

書だ!石川九楊展

非常によかった。ひとつは書のイメージが変わったこと。「源氏物語書巻五十五帖」という、まるで映画のカット割りのようにワンシーンごとに違う表情のタッチで「各帖を象徴する箇所を拾い」書かれている五十五枚の大作があるが、光源氏が死んだときの「雲隠」と五十五帖目の「夢浮橋」は文字ではない。陳腐な表現をすると、雲隠は、ほぼ真っ黒に塗りつぶされたかたまりで無を表し、夢浮橋は一本のぎざぎざした極細な横線でThe end を表している。他は一応文字が書かれているらしいが、実際には文字なんてどうでもよくなってきて、物語を読みながら絵を観賞しているような気分にさせられた。不思議な感情。「これが書だ!」と言われるとおり、いい意味で自分の書に対する先入観を壊される。最初は幾何学的な模様に惹かれたけど、作品を実際にみてみるとむしろ真っ黒に塗りつぶされた書のほうが自分は好きみたい。李賀の漢詩を書にした連作もやばかった。印刷物でみると、文字どおり真っ黒に塗りつぶされたようにみえるけど、結果そうなっただけでむしろ過程を想像するとおもしろい。書いている映像をみると、たしかにちゃんと文字を右上から左下に向かって書いている。余談だが書くときにぽたぽたと墨が垂れてても全く気にすることなく、変なところに神経質になっていた自分にあぁそうだよなそんなの気にすることないよなとこれまた腑に落ちた。最終的な形を追いかけてもほとんどわからないけど、角度を変えてよくよくみると濃淡はあるし、何かが封じ込められている感はある。そしてそのたたずまいがなんとも美しい。ちなみに書の見方として、ご本人も過程に関して言及している。「形で見ないで、過程で見るということ。形っていうのは、結果ですから。文字をなぞってみて、そのプロセスを追っかけてみたら、ものすごくよくわかりますよ。書はプロセスを見てください。(ほぼ日刊イトイ新聞 2017年7月13日より)」「書が白と黒のコントラストの芸術だというのは嘘で、墨は影です。書においては墨の色を感じるのはよくなくて、言葉が生きて動いている姿が直かに感じられるというのが墨色の理想です。(書の美より)」
よかったことのもうひとつは破壊の美しさ。9.11や3.11をテーマにした作品はどこか混沌としていて規則性があるようでなく、その変な対象物にとても惹かれるものがあった。破壊への衝動か。悪いことではなく。解説を読むと「美しさ」という形容詞を使っていた。
「2001年9月11日、二十世紀と二十一世紀を分ける事件が起こった。この日から真の二十一世紀が始まったのである。悲惨な事件であるが、そう言って済ませるわけにはいかない。ツインタワーに飛行機は突入、というよりも吸い込まれるように消えて行き、ビルは自壊していった。その自壊に人々はどこかで美しさを感じ、酔いしれていたはずである。…それは行き過ぎた資本主義文明の自壊の姿ではあるまいか。」

 

参考)http://www.1101.com/kyuyoh/index.html