なにそれ経営者のブログ

仕事と彼女と人生観

時間を感じる

誰かが創ったものや誰かが表現していることに心が動かされるのは、そこに時間がつまっているからだと思う。かたちが美しいとか見たこともない動きだ、みたいな驚きはたしかにそのとおりだけど、そういう表層的なところよりも深層に触れられるほうが重い。起きている現実、見ている現実は「いま」しかないからそこから得られる情報はさほど変わらないが、いまを取り込んだときにどこまで膨らむかは受け取る側に依る。自分が関与することではじめて受容できる。例えば、全く知らない人の結婚式にでるより昔からよく知っている人の結婚式に出るほうがより深く喜びをわかちあえる。ララランドの最後に出会った瞬間すべてがプレイバックするシーンがあるが、前半観てなかったとしたら「なんのこっちゃ」となるだろう。映画は意図的に仕込むことができるけど、人生そううまくはハマらない。5分で読める文章も、書くために何時間もかかっていることがある。実際に手を動かして書いた時間は数分かもしれないけど、そこに至るまでの思考の積み重ねがあり、その人のこれまでが結集している。スポーツにしろ、試合は一瞬で決まることがあるが、そこに至るトレーニングがあってその時間を想うと泣ける(わざとらしく編集するテレビはどうかと思うが)。スラムダンクで桜木が流川のシュートに目を奪われるのも「何百万本とうってきた」シュートで培われた技術を直感的に感じ取ったことにほかならない。自然のなかにたたずんで息を吸うだけでリラックスできるのは、無意識のうちに時の流れを感じ取っているようにも思う。AIは人間が実現できない驚異的な学習速度でインプットするが、AIのアウトプットで人は感動できるのか。教師データで欠落しているものは何か。時間をかけることでしか得られなかったと考えられてきたもの。時間をテクノロジーの力で短縮したとき、時間のすべてを取り込めるのか。チューリングテストじゃないけど、もし違和感があったとするとどういうことだろう。それにより、人間の創造性が浮き彫りになるのか?