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あいまいなままに受け容れる(続き)

「禅」の冒頭、いきなりこうある。
「禅は、仏教の精神もしくは真髄を相伝するという仏教の一派であってその真髄とは、仏陀が成就した〈悟り〉を体験することにある。したがって禅は、仏陀がその永遠の遊行の間に説いた教示、もしくは説法にただ盲従することを拒む。言葉や文字は、仏教者の生活がそこから始まり、そこに終る目標を単に指し示すに過ぎないとする。」
方法は問わない。厳しい戒律が課される宗教とは対極にある。だからこそ、師の教えを聞いてもその意味がわからないうちは、わからない。永遠にわからないかもしれない。やりとりの会話を聞いても師匠は弟子の質問にまったく答えていなかったりするけど、それが意味のあるやりとりだという。あくまで本人が内面に深く入り込むことにより到達する。
禅の前提となる問題意識として「問いは対象を客観視して離れないと出てこないが、答えは離れた状態では出てこない。もう一度問いがうまれる前に戻らないとわからないが、戻ると問うことも答えることもできない。問いは知性的だが、答えは体験的である。」という問題がある。仏陀自身、この実在と真理の問題を解決すべく、過去の賢人に教えを乞うたが満足せず、肉体の欲求をおさえて心を浄化させようとしたがやっぱりだめで、自我がなくなったときに悟ったという。この消滅が「無為」であり「空」である。ちなみにこの状態を象徴的に表した書が「円相」で、チームラボさんが作品を作っていたり、村上隆さんが円相の個展を開かれていたりする。解釈はみるものにゆだねられる。
禅の別な属性として「禅は論理的分析や知的処理の支配は受けない。」「常に具体的な事実を扱い、一般論には流れない。」というものもある。現実の矛盾を容認する。Aとnot Aを同時に受け容れるという世界観。論理で考えてしまうと混乱の極みに陥る。ゆらゆらと揺れ動く人間の心理を真理として捕まえようとした過去の賢人達の思想。深過ぎてよくわからないのが正直なところだが、具体と現実にしか答えはない、というあたり、なんとなく共感できるところもある。

参考)
鈴木大拙「禅」

teamLab「円相」
https://www.teamlab.art/jp/w/enso/
村上隆 個展「円相」
http://gallery-kaikaikiki.com/2015/10/enso/