なにそれ経営者のブログ

仕事と彼女と人生観

嫌いを超える

パートナーの考え方、自分なかでの整理の仕方として、好きとだけつなげて考えるのは違うことに気がついた。あたりまえだけど「好き」という感情だけじゃない。好きだから付き合う、好きだから一緒にいたい、というロジックはあまりにピュア過ぎる。
好きだという感情がわからなかったころはわけもわからずどきどきしたり、あの子と話がしたいとか思っていたけど、自分でこれが好きだという感情だと理解して、はじめてああこれが恋なのかという認識をしてしまうとそこからの拡がりに制限をかけてしまうような気がする。初恋や大恋愛は、一度きりだしたしかにそういうイベントは感情的なエネルギーが大きいから、その経験をベースに考えてしまうとそれ以上のことは起きにくい。なのでだんだん恋愛しにくい体質になっていく。しかしながら、そもそも好きとか恋とかは自分の感情をおおきくくくってそう表現しているに過ぎず、きわめてあいまいな概念である。概念なのだ。くらべるというのはナンセンスで、いま自分がもっている関係、そこで感じている気持ちをまっすぐに受けとめてそれをどう解釈するかは変わっていく。体調によってさえそういう気持ちは日々変わるのだから、好きという概念だって縮小拡大をしたってよい。さらに、パートナーを決めるときには好きだけにとどまらない。「嫌いだけどなぜか気になって一緒にいたい」でも立派な理由だ。おそらく年齢を重ねると燃えるような感情よりもおだやかな感情から誰かと一緒にいたいという比重が高まる。仕事であれば好き嫌いを除いて、目的合理性があればパートナーシップを結ぶ。どうしたいかみたいにロジカルに考えてそのためにこういう人と一緒にいたいと結論づけるのは納得しやすいし、例えば結婚するとなれば、意思決定してしまえば早い。けど人間は矛盾を抱えている生き物で目的的ではないことに興味を覚えたりする。自分の興味に敏感に反応すればするほどひとりのパートナーに決めるということが難しくなっていたりもする。小山さんの「『嫌い』を越えようとするひともいます」というコメントが印象的(*)。


* 2018.8.20 BNL Arts 「初期の村上隆奈良美智を見いだしたギャラリスト小山登美夫が、アートギャラリーとの付き合い方をご案内」
https://bnl.media/2018/08/tomio-koyama-gallery.html