なにそれ経営者のブログ

仕事と彼女と人生観

タイミング論

春の雪。物事にはうまくいくタイミングがある、ということをありありと突き付けられる。そのタイミングを逃すとうまくいくものもうまくいかない。とくに恋愛は。男女の関係性だから、こちら側の思う気持ちとあちら側の思う気持ちがうまくはまらないとおかしなことになる。叶わぬ恋は叶わない。婚約してしまったり、一線を超えたり、もう戻れない(実際にはもどれるけどかなりの不義理でその後が生きづらくなる)ところまでいってしまうともう戻れない。そこから前の状態に戻そうとしてもやっぱり無理が生じて、同じ状態には二度と戻らない。戻れるけど戻らない。青春時代のような。いるけどいない。あの日あの時とは違う。
清顕は、ことごとくそのときの選択で破滅に向かっていく。勢い余って書いた手紙も本意でないのに、そのせいで勝手に妄想して苦しむし、聡子が縁談話を受ける受けないのとき「いまならまだまにあうよ、どうする?」のファイナルアンサーでも「好きにすれば、おれかんけーねーし」と突き放した結果、父から「だからいったじゃねーか」という羽目に…好きだということをはっきりと認識してからもやはり時すでに遅しで、取り戻すことはできない。それでも清顕の気持ちは暴走し、聡子を妊娠させることになるのだが、それを知った大人たちは大人たちでそれぞれが外向けに処理するという緊急対応を粛々としていくさまも、なんとも言えない。それに比べ、聡子は自分の気持ちを素直に表現し、清顕が振り向くのを深く深く待ち続け、噛み合わなさを際立たせている。勝手な想像で動くことはよくないし、気持ちは素直に伝えるべきだと改めて感じさせられる作品。