なにそれ経営者のブログ

仕事と彼女と人生観

利益相反

利益相反の問題は他人ごとではない。法的に利益相反とみなされるが、実質的にそうでない場合。もしくはその逆。1人の人間が複数の帽子をかぶっているのが普通なこの時代、個人にとって利益と信じて行動しても、個人と組織で利益と不利益になる構図がうまれる。組織は多くの人がいてそこに属していればその組織の論理に引っ張られ。ゲームのルールは倫理ではなく論理。どうあるべきかではなく、いまどうなのか。大学であれば他の大学職員から、会社であれば他の株主から刺される。誰にとっての不利益か。ほんとうにそれは不利益なのか…性格が曲がっているかよほどの悪人でない限り、個人の利益を優先させることなんてないと信じたいけど、良かれと思ってやっていることも他人からすれば良くないと感じられることもあり。もはやルールを超えた倫理の問題になる。しかしながら倫理は答えがなく、よいか悪いかは別として現実社会では論理という枠組みでの議論になる。慶応の大屋先生は「裁判は正義の実現手段ではない」(*)と言っている。また、筑波の落合先生は「どう考えてもおかしいでしょ。国立大学の教員を辞めてまで、スキームを構築するなんて。でも、スキームのポイントはそこにあります」(**)と言っている。現行の仕組みで通そうとするとうまくいかないことも多い。ルールは必要だからつくられている。基本的にはルールはひとをハッピーにする。だけどたまに、現実に即したルールでない(たとえば、仮想通貨のようにテクノロジーの進化にルールにが追いついていない、あるいは、ルールに従ってつくられたけど現場は感情的に納得がいっていないなどの)ことがあって、ハッピーになれない。論理よりも倫理。だからこそ論理を倫理にフィットさせるべき。そんなことは待ってられないならば、いまの論理はおかしいよねと世間に問いかける姿勢。

* 大屋雄裕「裁判の原点:社会を動かす法学入門」 (河出ブックス) https://www.amazon.co.jp/dp/4309625096/ref=cm_sw_r_tw_api_coSUBb9X9AWMC

** 2018.10.5 DX LEADERS
「国立大学がベンチャー企業のR&Dを促進させる 落合陽一が構築したスキームはイノベーティブだ!」
https://dxleaders.com/business/895