なにそれ経営者のブログ

仕事と彼女と人生観

世界はフラット化してデコボコになった

どんなにいいものでも聞いたことがないものはふりむかれない。無名で有能な政治家に有名で無能な政治家が勝ってしまう。多数決は母数が多いと確度が低くても達成する。結局リーチした数による。コストをかけないと競争力のあるコンテンツにならない。どんなにすばらしいコンテンツでもいきなり浮上することはなく、中の人がコストをかけてメジャーにしようとしている。外の人からは見えにくいコスト。ある程度プレーヤーのいるマーケットで勝負するとなれば、やっぱりコストをかけたやつが強くて上にいる。社会的に有名になっているやつらもそのレベルにいくまでかなりつっこんでポジションを獲得したわけで。マーケティングなんていらないと思っていた時期があるけど、既に既存のプレーヤーがコストをかけているので、それを上回るにはウルトラCなどなく、それ以上にコストをかけないと超えられない。誰かが出し抜こうと戦略的に動くから駆け引きがうまれて、浮上するためのコストが必要になる。これは社会的な損失ではなかろうか。ただただいいものが売れるというのは理想論過ぎるのだろうか。2006年のフリードマンはたしかに正しそうな主張に思えた。2018年のいまはインターネットでフラットになったと思った世界も逆にインターネットだからこそ、アルゴリズムが介在する余地が多分にうまれてしまってぜんぜんフラットではない。