なにそれ経営者のブログ

仕事と彼女と人生観

意志の境界線

What is left over if I subtract the fact that my arm goes up from the fact that I raise my arm?(Wittgenstein)古典的な意志の定義。「手をあげる−手があがる=意志」。なかなかうまいことをいう。が、意志の境界線はあるのだろうか。いきなりゼロからたちあがることはない。國分先生は「中動態」という概念を用いて思考されている。同じように「私が歩く」と「私のもとで歩行が実現されている」の違いを問い。意志は「自らでなした行為のこと」なので、自分がその行為の出発点でありながら、自分以外のものからも影響を受けているので「自分以外のものに接続されていると同時にそこから切断されていなければならない」。私たちは、能動態と受動態があたりまえだとおもっているが、じつは「態」という概念には中動態なるものがあり(言語学的に能動態と受動態の区別のほうが、後世に出現した区分らしい!)意志や意図は、この視点で説明されるほうがしっくりする。冒頭、ヴィトゲンシュタインの問いも、引き算の答えに求めているのではない。無から有、無いはずのものが立ちあがることは決定的な断絶があるが、ある時間から出現したと言い切ることもできない。意志は非合理な概念である。中動態がもっとも意思を説明しやすい概念ではあるものの、中動態でさえ意思を前提とした態ではなく、明晰な定義ではない。