なにそれ経営者のブログ

仕事と彼女と人生観

「公」とはなんなのか

少女像撤去を要請している人のひとつの理由に文化庁の補助事業が原資だから勝手なことすんな、があるようだ。税金使ってんだから一部の人が不快になるようなことはするな、という論理(だと思う)。

戦時中に日本の兵士がセックスするために韓国の少女をレイプした。これはおかしい。反抗できない女性や子供への暴力。愚かな行為だ。慰安婦像は、こうした歴史的経緯から作られたと理解している。現代社会においては韓国が日本への抗議のためにも使われているようで。Statue of Peaceという名前なのに生き残った私たちがこれでいざこざをおこしている。

作品のステートメントとしてどんな意味をこめようが勝手だと思う。解釈は観る側にある。津田さんは「検閲」という強い言葉を使っていた。撤去を求める政治家は総合的に判断してポジジョントークをしているのか、ほんとうにそう思ってんのか、いずれにしても強い抗議をしていた。

公式サイトのステートメント
「表現の不自由展」は、日本における「言論と表現の自由」が脅かされているのではないかという強い危機意識から、組織的検閲や忖度によって表現の機会を奪われてしまった作品を集め、2015年に開催された展覧会。「慰安婦」問題、天皇と戦争、植民地支配、憲法9条、政権批判など、近年公共の文化施設で「タブー」とされがちなテーマの作品が、当時いかにして「排除」されたのか、実際に展示不許可になった理由とともに展示した。今回は、「表現の不自由展」で扱った作品の「その後」に加え、2015年以降、新たに公立美術館などで展示不許可になった作品を、同様に不許可になった理由とともに展示する。(*)

公的なうんぬんを持ち出せば、おそらく開催前にしかるべきプロセス(**)を経て決まっている。開催中に国民からの抗議や偉い人からの要請があり、結果的に、安全上の理由で展示を中止(せざるを得ない状況に追い込まれた)。

まったく知らない人からすると、ただ座っている女の子にみえるだろう。そのクラスターの人たちでないとわからない話題か。「なにそれ?興味ない。」歴史や政治の知識をいれてはじめて完結する。ノイジーマイノリティかマスターバージョンか。

ろくでなし子さんを思い出す。いまの社会に引かれている思想的に一定の線を越えたからだめ。社会に線などない。表現の不自由展も似ている。

展示にゾーイングがされているから見なきゃいいだけだと思う。公共空間の嫌なものはすべて排除するのか。やっぱり一部の意見に引っ張られて結果を出したようにしか見えない。アートはもっと自由であるべきに賛同する。チンコ出しててもぼくはなんら問題ない。不快な思いをさせることがありますとか18禁とかにして展示すりゃいい。誰かも言っていたけどその場でないと感じられないことはある。

撤去はほんとうに残念だ。戦争ものは嫌いなので、どちらかといえばこの手の話題に興味がないし、あったとしても積極的にみようとはしなかったと思う。ネットで知っただけの情報だが、いろいろと思うことがあり。おそらくこうして各自が考えることがこの作品の趣旨であろう。


*  あいちトリエンナーレ2019 公式サイト
https://aichitriennale.jp/artist/after-freedom-of-expression.html
** 「県庁の関係部署や、あるいは施設側にも説明をして、この展示を行う際のリスクについても事務局や県民文化局と調整してきた。」
ハフポスト「『少女像』展示、どうなる? 実行委で検討へ。芸術監督・津田大介氏が会見」https://www.huffingtonpost.jp/entry/daisuke-tsuda-press-conference_jp_5d44111fe4b0acb57fcad537?