なにそれ経営者のブログ

仕事と彼女と人生観

なまえ

「人は言葉を使うとつい、意味に固執してしまう」(*)と言ったのは独立数学者の森田さん。名前に意思はない。千と千尋ではない名前はとても大切なものに描写されているが、自分の体と名前とのつながりへに必然性はない。呼ばれ続ければそうなのかなと思うし、名前のない人だっている。分けないと社会生活上不便だからそれぞれ勝手にタグをつけているだけで、その言葉を使うコミュニティでデイビスだろうが太郎だろうが”それっぽい”ことを宣言してそれが次第に自分という輪郭のない対象を概念的にかたちづくる。要はなんだってよいのである。意味はないけど便利だからと考えられたもの。そういうものは少なくともあるときには余計でじゃまなものになる。世界はもともと分けられていない。うまれたばかりの赤ちゃんはそれがすべてで意味をもたない。認知の初期段階においてはプラトニックな瞬間の連続かもしれない。

(*)森田真生「数学の贈り物」