なにそれ経営者のブログ

仕事と彼女と人生観

堕落論(続き)

トランプさんの勝利にぼくは好意的だ。というか投票権もってないし、政策的是非はわからないけど、ロッカールームトークの話を聞いたあたりから素直でいいなぁと勝手に親近感をもっていた。政治なんてポジショントークなんだから、根っこまでクリーンである必要はない。アメリカの友達はみんな悲観的だって聞くけど、まわりの人達が中間層以上でちゃんと仕事もあってそれなりに生活できてた人だからではと思う。

現実問題で争いはなくならないのに、理想論的に争いは良くないからなくしましょうと言っているだけでは結果は出せない。ちゃんと目の前の現実をみて「そんなの無理だよ」を受け容れることは大事。トランプさんは「争いとかなくなってないじゃん、できてないじゃんお前ら、だからおれがやる」的発想で国民をあおって大統領になった。解決策はないのに現実否定と共感で勝った。解決策がないというより適当で過激だったけど、いまこの世界で現実問題、争いが続いているのだから、どんな過激な発想でも正解の可能性はある。むしろ正解は歴史がつくる。それはそれで正しい戦略だった。

株価は当選直後にさがってまたあがってきた。しかしながら、どれほどの人たちが影響を受けるのか。そもそも株価どうのこうの、誰が大統領になったうんぬんで、我々に関係あるのか。冨山さんがおっしゃっているGとLの世界ではないけど、互いに干渉しながらもパラレルワールドで世界はまわっていて、Lの世界の住人はGのできごとはほとんど関係ない。

たいてい政治や社会の転換点は、ニュースでセンセーショナルにとりあげられるけど、一過性の盛り上がりで、どこか他人ごとのように感じられる。日本に住んでいるからかもしれないけど、思想的には影響されるが、行動には影響しない。ニュースをいっさい遮断して生活していれば、昨日と今日はほとんど変わらず、そんなことよりも、いい女の子いないかなとか、美味しいもの食べたいなというほうに思考は流れる。

ぼくは、坂口安吾のいう「私の近所のオカミサンは爆撃のない日は退屈ねと井戸端会議でふともらして皆に笑われてごまかしたが、笑った方も案外本音はそうなのだと私は思った」てくだりがとても好きで、「案外本音」の気持ちに共感している。

仮に最悪な世界になったとしても、人間にはそれを受け入れて光を見い出す力がある。ずっと凹んでいるわけではないし、歴史的にみれば戦争はNGだけど、その当時生きた人たちは案外楽しんでいたんじゃないか。日々の暮らしに、政治や社会は関係ない。関係するけど関係ない。それがLの世界の現実。ルール的に、国という単位でくくられて、その社会で生活せざるを得ない人たちは、やむを得ず一方的に与えられたルールに従って暮らしているけど、ルールがなんであれ、それとは関係なく与えられた環境で最適化するエネルギーはある。この議論だと究極的にはどっちでもええやないか、という結論になるけど、アメリカ国民の気持ちに近かったのがトランプさんだっただけのこととぼくは極めて楽観的に受け止めている。

 

「人間の一生ははかないものだが、又、然し、人間というものはベラボーなオプチミストでトンチンカンなわけの分らぬオッチョコチョイの存在で、あの戦争の最中に、東京の人達の大半は家をやかれ、壕にすみ、雨にぬれ、行きたくても行き場がないよとこぼしていたが、そういう人もいたかも知れぬが、然し、あの生活に妙な落付と訣別しがたい愛情を感じだしていた人間も少くなかった筈で、雨にはぬれ、爆撃にはビクビクしながら、その毎日を結構たのしみはじめていたオプチミストが少くなかった。私の近所のオカミサンは爆撃のない日は退屈ねと井戸端会議でふともらして皆に笑われてごまかしたが、笑った方も案外本音はそうなのだと私は思った。闇の女は社会制度の欠陥だと言うが、本人達の多くは徴用されて機械にからみついていた時より面白いと思っているかも知れず、女に制服をきせて号令かけて働かせて、その生活が健全だと断定は為しうべきものではない。」

参考)坂口安吾「続堕落論