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なにそれ経営者のブログ

女の子は好き。でも結婚したくない。

意志と知性

方法序説の第三部「道徳の規則」にこんな一節がある。

「我々の道徳が退廃してくると、自分が信じていることをすべて言いたいと思う人がほとんどいなくなるだけではなく、多くの人たちは自分が何を信じているのかも知らない。人があることがらを信じるときの思考のはたらきは、それを信じていると知るときの思考のはたらきとは違うものであり、一方はしばしば他方を伴わないことがある。」

この背景には「あることを信じることは意志のはたらきであり、信じていると知ることは知性のはたらきである。意志は、しばしば知性に照らされることなく盲目的にはたらく。」という考え方があるそうだ。

たしかに「信じること」と「信じていると知ること」は独立している。

先に結論が出てしまって、あとから検証するなんてことはよくある。意志のほうが速く自分に到達するので知性が追いつかない。例えば、なんだかあの子のことがずっと気になっていてなんだかよくわからなかったけど、だんだんと、ああ、なるほど、これが好きという気持ちか、というようになるとか、あるいは、初対面でも会った瞬間にこの人とはあるなと思うとか。

けれども、それはこちら側の勝手な思い込みに過ぎず、相手あっての話なので、意志だけで突っ込むとたいていうまくいかない。自分の思いだけで行動してしまうと、相手にしてみれば唐突感があるし、無秩序だから混乱して伝わらない。仕方がないので知性をもって思いをコントロールするのだけど、理性の枠におさめようとすればするほど自分の気持ちと離れていってプラトニックに表現することができずに冷める。

知性があるからこそ相手との意思疎通ができるのだけど、知性を使うと思いが歪められる。知性があるからこそ、背徳感みたいなエロさが創造される(その意味では不倫はきわめて高尚なエロともいえる)。

冷静と情熱の間ではないが、意志から入って燃え上がったとしても継続的関係を築こうとして知性にうまくつなげないとそこで終わることもある。少なくとも知性は必要だ。

逆に、知性で完全に制御されて熱情が伴わず事務的なお見合いになると気持ちがついていかない。肯定的に考えれば、感覚は間違っていることもあるわけで「初対面では最悪でしたが徐々に良さがわかってきました」的な話はほんとうだと思うし、それが口説いて落とすという知性を駆使して意志を引き出す恋愛かもしれない。

ぼくは欲望に素直なほうが健全である、知性でつくられる意志はうそくさい、という立場なので、不倫もワンナイトラブもぜんぜん許容するし、かなり意志偏向型のポジショニングな一方で知性の必要さもわかっているつもりだけど、現実なかなかうまくはいかない。

参考)ルネ・デカルト方法序説