なにそれ経営者のブログ

仕事と彼女と人生観

同じ行為をしていても言葉に縛られることがある

付き合う→別れる、の同意があると、別れたあと、いわゆる元カノという人物になり、気軽に誘いにくい。でも、お互い付き合ってないという認識であれば、ある程度期間がたっていたとしても抵抗なく誘うことができる。この違いはなんなのか。付き合ったとされる女と付き合っていないとされる女とで、行為としては全く同じことをしていたにも関わらず、誘い易さが全く異なる。もし記憶が無ければ、いまでもフラットに誘えたはずなのに、過去に引きずられて、今が変わっている。重要なことは、やってることは何も変わらなかった、ということである。

この一件で、他者との関係は、自分のなかで勝手に線を引いているだけ、ということに改めて気がついた。付き合ったという既成事実、ある種の同意にこれほどまでに縛られるものかと。言葉によって輪郭をもつ。概念的に特定の場所に根をはり、実態を侵食する。おそらく結婚もそんなもんだろう。結婚したからといって生活が変わることはない。結婚して生活が変えられるのなら、別に結婚しなくても生活は変えられる。気持ちの変化は、今日と明日の違いくらいで、1日カウントされたというインパクトなんてほとんどない。というかそんなことは気にしない。実態として変わるのは、行動が変わったときのみで、それは同意やら契約とは独立したトリガーがある。実感を持てるのは子供ができるとかフィジカルな変化であって、決して結婚ではない。だけど、自分の思い込み次第では何かが変わる。

メダルをとってから自分は変わらないのに周りが変わったという話に似ている。ぼくらは、そういうわかりやすい目印に反応しがちなのだ。