なにそれ経営者のブログ

仕事と彼女と人生観

大きさ

自分が体感・経験したものと情報として知り得たものとをわけるもののひとつに「大きさ」があると思う。例えば、飛行機。飛行機は頭のなかで簡単にイメージすることはできるけど、そこに大きさという概念は含まれていない。実際に飛行機をみるとバカでかい鉄の塊が存在していて、圧倒的大きさにビビる。空を飛んでいる小さな乗り物としての印象が強くて、普通に考えれば遠距離であの大きさなら、近くでみればでかいに決まっているのだけど、そこには思考が及ばない。間接的な情報で定着してできあがったとすると「大きさ」が抜け落ちる。芸能人が実際にみたらすごく背が小さかったというたぐいもおなじ。スマホや画面ではフレームが変わらないので、そのもののカタチは残るけど、知っているけど行ったことのない、例えばグラドキャニオンなんかもそうだと思う。ナマでみないと感じとれない情報。小さいころ、耳を切り落としたゴッホの炎の自画像が好きで美術館にくるということで観に行ったことがあったけど、あまりの小ささに驚いた。巨大なものとして印象付けられていたようだ。著明な先生なんかもそう。実績が凄すぎて勝手にイメージを膨らませて存在感にまどわされて身体の大きさまでデカくして構えてしまうことがあるけど、会って話をすると、謙虚で小さなオッさんだったなんてことも。小さいころ凄かった人に大人になって再開してあれこんなに小さかったっけと思うのも、想像でつくりあげられた存在感の影響。大きさから得られる情報は、そのものを構成するアイデンティティのひとつで、大きさも含めて理解することがちゃんとした情報として定着させるために必要なことと思う。最近ではVRなんてのもあるけど、まだまだ自分の目でみて感じたことのインパクトのほうが強い。