なにそれ経営者のブログ

仕事と彼女と人生観

余白の芸術

田中さんの公開制作が近くのカキモリである(*)としってこれは行かねばということで会いにいった。2日間で黒に2枚と白に2枚、合わせて4枚描くみたい。ぼくが行ったのはちょうど黒いキャンパスに描き終わったころで…いろいろ質問にこたえてくれた。ありがとうございました!


田中さん:「黒いキャンパスに描くことはほとんどないから、いつもと少し違う。白いキャンパスに描くときは描きすぎないよう余白を残すことを意識している。黒はもともとつまっているのでそこからどう色を入れていくか。公開制作だとどうしても描き過ぎてしまうことが多い。実は今回90分でしたけど、すぐ終わっちゃうんですよね。」


と言いながらやって見せてくれた(ほぼ完成していたのにごめんなさい…)。紙に絵の具をつけてそれをキャンパスにうつして描く。その線の感じが好きなんだとか。余白については、黒が足し算で白が引き算のような感じなのかな。


ぼく:「描く前にイメージがどこまでできているか、気分によって絵が変わってしまうことがあるか。」
田中さん:「いままでにみたことのないものを描こうとすると自分の才能のなさに嫌になる。描こうと思えない状態で描きはじめるとそこから絶対にダメなものができる。そこから立ち直るほうが大変だから描かない。朝から夕方くらいまでなにもなにも進まないこともある。」


ぼく:「職業として絵を描いていると、描けないというのが許されない、描かなけれいけないこともあると思うが、そんなときどうしているか。」
田中さん:「遊びにいっちゃうこともあるし、ほかのことをする。個展の締め切りとかに迫られるとすごく苦しい。外で描いているとき、正直描けているものがよくないなと思うこともあって本当に申し訳ない気持ちになるけど、どうにかそこからいい方向にもっていっている。」


ぼく:「毎回すごく精神的な負担がありそうですね…」
田中さん:「そうなんですよ。なんとかやっている。すごく悩んでいても、なんにもできていないことがあるから、そのときにできてないじゃんと言われるとすごくつらい。描いた絵をみていいものができたときはうれしくなるし、ぜんぜんだめなときはすごく落ち込む。」


描こうと思うラインは自分でもよくわからない、というより、言葉にできない感覚なのかも。自分のなかに深くもぐってどこかで描こうと思えるスイッチが入るタイミングはたぶんある。あるけどこればかりは本人にしかわからない。


ぼく:「ちなみにこの作品はどんな感じか」
田中さん:「これに関しては迷いなく描けた。」
ぼく:「時間が巻き戻ったとすると同じものは描けるか。」
田中さん:「描けない。そのときに感じたことが違うのでまた、違う感じになると思う。すでにもうここをこうしたいという思いがある。こういうのはずっとやっていられる。今回は刻むことが前提だけど、全体のバランスをみてつくっている。全体がよければ部分もよくなる。」


完成イメージは最初からあるわけではなく、キャンパスに色を重ねていってこの色の線があったほうがいいなとか、こういう感じの面があるといいなとか、すこしずつ現れてくる色と対話している。そもそもできあがりのイメージが最初からできているものなど少ない。物理学者のディラックは「自分の考えた数式は自分より賢かった」という言葉を残したそうだが、人間は自分の想像以上のものをつくることができる。ぼくたちがライブに惹かれるのは、大量生産される工業製品に囲まれて生きていて、不自然な社会にいる反動で、だからこそピュアなものに心が動かされるのかもしれない。同じものを描けない、そのときの気分を作品に閉じ込める、これはもうほんとうに憧れと尊敬でしかない。田中さんはぼくとほぼ同年代で、しゃべってみた感じ、素朴で自分に素直な人だなぁと思った。dearmoonプロジェクトでぜひ月に行ってほしい。そしていつか、ぼくもここに自由に描いてくださいとお願いしたい。


(*)カキモリ
http://kakimori.com/?p=8200