なにそれ経営者のブログ

仕事と彼女と人生観

相互不信の構造

わからないときはワーストケースが想定される。規制側はクリーンな運用を目的に一律に禁止することがあり、ごく一部の悪用でも起きてしまったことだからと全員に押しつける。余地を残さず。これまでそれをすることによって起きてきたほんの少しのメリットも規制側には関係がない。たいへんなのはそれが適用される現場で、ふつうに働いていた人々はある日突然やるべき不毛な記録が増えてやれることが制限される。ルールとはそういうものだ。行き過ぎるとストレスをうむ。徹底的に叩くという社会であれば、管理側はよりクリーンやもの、完璧なものを求める。相互不信の構造はワーストケースの想定からはじまる。うまくやる方法はある。こうならないように、合法的にロジックを組み立て、わからないやつには問題が生じないといえるロジックをわかるやつから提示すべきである。ルールは現場のわかるやつがつくるべきで、権力のあるやつに正しい解は出せない。ルールは本来クリエイティブな解決策であり、ルールによってみんなが苦しむという構図は間違っている。