なにそれ経営者のブログ

仕事と彼女と人生観

芸術実行犯

「そもそも『正しいこと』は最強です。『正しさ』の前に人は異論を捉えられない。だから『正しさ』の使い方を間違えると本当に危ない。既製の道徳に縛られないからこそのアートに『正しさ』を求めるなんて一周回ってプロパガンダの発注者と同じ思考だと思います。世の中は善悪入り乱れるカオスです。イリーガルだから悪という言い分だって疑わしい。何を持って善悪か、アートは正しくなくてはいけないのか。社会が本当に正しいのか。」(*)最近の美術手帖、個と公の関係でも卯城さんが言っているとおり、ヤバいやつはワンパッケージで語れない。どうしても表現したいことが出てきたときにそのときの法律が禁じているときたらアーティストは簡単に超える。岡本太郎の壁画に「原発」を付け足したりするのは、たしかにイリーガルかもしれないが、法律うんぬん以上に、人々が思いを馳せ、社会の議論を巻き起こすエネルギーがある。岡本太郎自身も刺激を与える生きた芸術として人々に作品をさらすことへの意思があったし、作品の意味を理解したうえで確信犯的にやっているし破壊的な創造性がある。作家性や難しい解説付きのコンテキストで生きるのではなくていまここにカウンターを入れることへのこだわり。多くのアーティストが大衆のわかりやすいかたちに回収されるなか、それに抗い、現在を見据えている。ただおもしろい、かっこいい(ハイセンスであることが大前提)だけで実はコンテンポラリーアートは難しくないのかもしれない。少なくとも庶民的にそうだよねと共感できる。戦時中でも絶対ふざけたやつはいただろうけど、戦争を振り返ると二度と繰り返してはいけないだの、悲惨なことだのと、優等生的なことしかマスメディアには出てこない。カンボジアで地雷撤去を好きでやっている人たちの話が好きだ。地雷撤去や爆破をする理由が「スキダカラ」。悲劇的な話をリアルに直面している人々のユーモアや笑い。福島で行った「気合い100連発」も当事者ならでは。ロシアのヴォイナの作品「KGBに捕捉されたペニス、ヴォイナの65メートルのチンポ(***)」は過激だけどアートとしか言いようがない。実際、ロシア文化省から現代美術部門のイノベーション賞が贈られたらしい。レベルが高いし、かなりヤバい。ロシアのアクティビストはガチ。政治や社会の心臓を刺しにいっている。

* Chim↑Pom 「芸術実行犯」

** 美術手帖 The Public Times 〜Chim↑Pom卯城竜太 with 松田修による「公の時代のアーティスト論」〜

https://bijutsutecho.com/magazine/series/s16/18854

*** f:id:nanisoreblog:20190103224837j:image