なにそれ経営者のブログ

仕事と彼女と人生観

つきあいかた

非上場企業の資金繰りはスーパーコンフィデンシャルですよ。言えるわけないですやんか。なのでメインバンクは慎重に決めざるを得ません。カネの流れが全部筒抜けになって性癖がバレるってことですからね。銀行とセックスしているようなもんです。丸裸にされてすべてお見通しよ♡って感じ。舐めまわされるのがいやでたまに本命をつくらずに何個も口座つくって浮気してるようなやついますけど、やっぱり信用されませんよね。全部みせてくれないってことは体を預けられないってことだから、あっちもそれなりの距離感での付き合いになります。

一方で、融資じゃなくて投資をしてくれるひとたちはオトナですよね。付き合い方がドライで日常的に介在してくるわけではない。出資額以上の追求はしてこないので定期的にヤらせてくれっていうだけ。ですので、太いお客さんにはたくさん、細いお客さんには少し、というように愛してくれている大きさによっても態度をかえています。愛にも重みがありますから。

仕事と事業

仕事を創り出す能力と実行する能力は違う。ゴルゴ31は依頼者との約束は必ず守り、完璧に「仕事」をするためプロフェッショナルの例えとして出されることがあるが、ここでの「仕事」は依頼人ありき。依頼が出ればめちゃくちゃ完璧にやり遂げることができる(その過程で創意工夫はもちろん必要だ)が、依頼をつくるほうもこれまた重要な「仕事」。仕事=つくる+実行する と分解すれば、多くのひとは「実行する」仕事をしていて、つくってない。「つくる」ということに関して、自分のイメージをうまく伝えられないが、単にこれまでにない何かをつくる、とかそんなレベルではなく、新しい発想や着眼点が含まれていること(つまり、やっていることは同じことでも考え方や意味づけが新しいこともあり得る)、世の中のひとが気がついていなかったけど言われてみればあたりまえのこと、なぜそれがよいのかわからないけど瞬時によいものだと感じられること、などがその条件としてあるように思う。以下でいうところのcreateの2番目の意味に近い。

create
1. to make something exist that did not exist before
2. to invent or design something

invent
1. to make, design, or think of a new type of thing

design
1. to make a drawing or plan of something that will be made or built
2. to plan or develop something for a specific purpose

ちなみに、稼ぐ能力もまた違う。事業=Σ(仕事)とすると、事業をコントロールする能力は、仕事で求められる能力とは全く別に感じられる。資本主義のゲームでは、仕事に対して値段をつけ、お金という共通項を用いて良し悪しを測っているけどお金の大きさと本質的な仕事の良し悪しとはなんら関係がない。払う人と払われる人のバランスでお金は動いているので、そこに道徳的な観点は介在しない。それがお金という指標の限界。しょぼい仕事でもうまくやれば稼げるし、素晴らしい仕事でも赤字のことはある。仕事をがんがん創り出してまわすことができても、事業にする、要はキャッシュインをキャッシュアウトより大きくすることを目的に、そのオペレーションを考えるのは、それはそれで違う能力。など考えていたら、タイムリーにこんなTweetが流れていた。botだけど。

「お金を儲けるっていうことを考えた瞬間に、それはもう20世紀的発想で、リーマン・ブラザーズと一緒なんだよ。」by 高城剛

矛盾をうけいれる

人間は複雑な動きをきちんと記憶するときには、インプットとアウトプットを同時に記憶しているらしい。人間は、AとNOT Aを同時に受け入れることができる。理性で考えて問題を整理すると、こちらをたてればあちらが立たず、あちらをたてればこちらがたたずのような、いわゆるコンフリクトがおきるが、人間が絡んでいる問題において、論理という方法論ほど無力なものはない。その枠をはみだせないと永遠に解決できない。人間は、他者と共有するために言葉というツールを使って表現し、秩序だったルールを仮定し、そのルールに基づいて意思疎通をしているけど、それは極めて表層的なつながりであり、ほんとうの意味で相手の思いは理解できていないように思う。私の尊敬する独立数学者の森田さんは「わかるということはつくるということだ」と言っている。そのとおりだと思う。そういえば、高校のときの担任の安村先生は「人の気持ちはわかり得ない」と言っていた。たしか、他人は自分ではないからいくらわかったつもりになっても知ることができない、という主旨だったと記憶している。いかにも慶応の数学科出身ぽい発言なのだけど、いまでも覚えているくらいだから高校生のぼくにとってかなり衝撃的な言葉だった。
生きていると「あってるし正しいけどなんか違うんだよなぁ」ということがたまにある。ちょっとした違和感は敏感に感じ取ったほうがよい。だいいち意識して感じ取れていることのほうが少ないのだから、違和感があるということはそれ以上にみえないネガティブなことがたくさんあるかもしれない。正しいからという理由で人間は行動に結びつかないし、それで行動したとしてもやっぱり軽薄にみえてしまう。営業がMBAの文脈で語られないのは興味深い。フィリップ・デフヴス・ブロートンは「ビジネススクールで終身教授になろうと思えば、特定の学術雑誌に論文を発表しなければならないが、そうした雑誌はみな財務やマーケティングや戦略やオペレーションに目が向いていて、営業についての論文に割く誌面がないか、このテーマを真剣に取り上げようとはしない。そんな本質的とはまったく関わりのない理由で、営業は経営学のなかでつまはじきにされている」と言っていた。売りをたてるのがもっとも大事なはずなのに。人が動くのに理由はない。理由がないから再現性がない。再現性がないから学術として成立しにくい。たいてい人間なんてそんなふかく考えていないし(関係ないけど、そうだ京都行こう、というJRのコピーは秀逸だ)、考えたところで正しさに確信が持てない。あたかもそれっぽい理由付けをすることを仕事にしているコンサルタントが流行った時期もある。若手でもロジックに強ければバリュー出せます的な。そんなことは誰だって考えているしそうじゃないから困ってんだよこっちは、という経営者は多いはず。答えが欲しいわけではない。もっと柔らかいものを求めている。腹を据えるための理由付けが欲しくて、動かせればなんだってよい。下世話な話、女をあてがって揺さぶるんだって構わない。山に登るとき、ルートAだろうが、ルートBだろうがルートCだろうが、すべて共存できて、どのルートを選ぶかなんてことに必然性はないし、すべてが正しい。すべてが正しいし、ルートに優劣なんてなく、選ぶことの意味はあまりない。

honesty

いま一番大事だなぁとかんじていることは、人にも自分にも嘘をつかないこと。あたりまえのことだけどこれがなかなか難しい。とくに自分のことになると誰にも迷惑をかけないし、むしろ自己犠牲のもとでみんながハッピーになるのなら嘘をついたほうが楽なので閉じ込めてしまう。だけど閉じ込めてしまうと、ほんとのことがだんだんわからなくなり。その場はしのげるかもしれないけど、長い目でみるとよくない。結局自分の思いではないので説得力にかける。言ってることは正しいし、なんの破綻もないけどリアルではない。なんか違うってのは伝わる。嘘だから。「お前本気でそう思ってんのかよ!」と。空気を読むことはたしかに大事だけど、もっと大事なのは嘘をつかないこと。あるべき論を無視して素直になること。ダメなものはダメだし、イイものはイイ。美しい嘘より醜い真実。

嘘をつかずに泳ぐ

AとBを選ぶときに直感で最後はAになるだろうとうすうす感じでいても、Bにのっかっていったん泳ぐことが合意形成においては大事かもという話。これまではさっさとAに決めて先に進めたほうが効率的やんと信じていたけどハードランディングし過ぎるといろいろついてこない。本気でそう思えるタイミングは人それぞれで意思決定のタイミングは早くても遅くてもしくじる。「結婚しよう」と言われ「じゃあしよう」とちゃんと考えてもいないのに答えを出してしくじったこともある。
なので、強引にAにするよりも、Bの話を聞き「そうだよね、Bだよな」とAを説得しにかかるというプレーがきく。プレーといいながらもこのときは自分のなかではBという結論をだしている。つまりこの時点で嘘はついていない。そもそも事実なので嘘をつく必要がない。が、結局Bは無理で最終的にAにおちつく。Aという結論が最初にみえても一時的には本気でBとして動く。AでもBでも正しいからコンフリクトしているのであって、突きつめればどちらでもよい。どちらにしたいかという思いが意思決定に影響してしまって最初にAだと感じたらAになってしまう確率が高いけど、いったんクリアにしてスイングする。
女絡みでいえば、何人と同時に付き合おうが、全員好きなのであれば堂々としていればいいし、なんら問題はない。相手にとって不快かもしれない行為をしていると思うからバレないというやましさがうまれるのであって、選べないのだから仕方がない。会っている時間は少なくともそいつが最高だと思っている…こともあった。同時に満たそうとする、あるいは、どちらかを選ばないといけない、という状況は難しいけど、基本的にはそのときどきの本心に従って行動すれば、こじれることはない。

造られた自然

北の地域では、桜の開花をゴールデンウィークに合わせようと氷などで桜を冷やしているところもあるらしい。それでも効果があるのは1日くらいだという。強烈な違和感。観光地の人たちがやりたいことはわかる。わかるけどなんか間違っとりゃせんか。たしかに多くの人が訪れるタイミングに合わせて満開であれば絵になる。がしかし、直前になって人為的にコントロールしてまで無理やり遅らせることはなかろう。自分たちの勝手な都合に合わせるために。養殖やら品種改良みたいに何年もかけて徹底的に合わせにいくならわかる。完璧に咲くタイミングをコントロールしますってのならまだわかる。子供たちに魚を獲らせるときに大人が囲った安全な場所で放流して「はいどうぞ〜」とやる感じ。イラつく。ぬるいんじゃ。そんなもん自分で獲ってこいや。獲れる獲れんはあるのがあたりまえやがの。そんなかで獲れるってとこに刺さるのであっていいとこ取りしようとプロセス削って表面なぞるのが薄い。桜はただただ咲くから美しいのであって、ちまちま手を入れんでも良いし、咲いているその一瞬から想いを馳せられるだけで良いように思う。

強者の美学

ドンケツがめちゃくちゃおもしろい。ありとあらゆるヤクザ漫画を読んだってひとから「ドンケツ」がいちばんヤバいって聞いたけどたしかにヤバい。これまでマンガといえばサンクチュアリー一択だったけど二択にしようかと思うくらい。
強いというわかりやすさ。そして実際ハンパなく強い。ケンカが好きだというブレない軸。それとばりばり現役。ここ重要。いま強い。いま。ロケマサやゲンコが「喧嘩のカンが鈍ってんじゃねぇのか」と目上の連中に絡むシーンがある。昔は強かって偉くなったかもしれないけどいま弱いんなら怖くねぇと。
あらくれ者の組織を統率するにはロジックがいる。任侠で支配しようとする月論会の幹部。人間の欲望につけ込み、外道なやり方で金や薬を使って急速に力をつける十五夜組。ロケマサは、そういうごちゃごちゃした政治的な世界とは別の次元で生きている。価値観の次元が違う。もちろん強いだけでは出世はしないし(だからドンケツのまま)、偉くないと権力や金がないから大事なときに人を救えない。友人のススムを救えなくて自分は強いだけで権力がないと守ることができないと悩むシーンも。だけどひとはやっばりシンプルで原始的なところに惹かれる。研ぎ澄まされた野性味。組の違うゲンコや速水はそういうところで繋がっている。
数字の世界では数字を出したやつが勝者と言われる。策略があって運もあって第一線で活躍しているやつがいる。けどたまたまそいつが巡り合わせで第一線にいるだけで、もっともっと多くの実力者がいるはず。数字が出なければ敗者だけどそれがすべてかと思わせてくれる。勝者ではない強者の生き様もある。