なにそれ経営者のブログ

仕事と彼女と人生観

なでしこジャパン

なでしこがワールドカップ出場を決めた。商業的には金曜夜という最高の時間帯での大一番。視聴率はどれくらいか。ゲームの内容はしまった試合でとてもよかった。みんなで声を掛け合って連動して、1人でだめなら2人、2人でだめなら3人でとチームが一丸となって戦っているのがわかる。前半はほとんど攻められっぱなしできつかったけどよくゼロで抑えた。前線の選手はみんな1枚くらいはがせるテクニックをもっていて自信をもってプレーしていた。日本の選手もアメリカやらヨーロッパやらで活躍しているみたいで、男子と違って個人の能力でも十分世界で戦える。攻められはしていたものの集中できていたので選手も戦術もかえる必要がなく、かえるタイミングもなかったように思う。イケメンキャプテン(4番熊谷)が後ろでしっかりとチームをまとめ、独特のリズムをもつ天才(8番岩渕)はのびのびプレーしていて、小さくてかわいい子(14番長谷川)が俊敏に動いて、先輩たちに褒められようとけなげにアシストし、最後は男まさりのがエース(10番阪口)が少ないチャンスできっちりしとめる。それを高倉監督が微笑ましい感じで眺めているという…そうであってほしいという想像だけど、それぞれの個性があってゲームを見ていられた。あと化粧していないほうがかわいい(若い子たちはみんな気にしていなさそうだけど)。男っぽい感じの子と女の子っぽい感じの子がいて萌える。女子サッカーも悪くない。

計画は社員のためにある

減価償却の考え方はキャッシュアウトしてるのに経費にならないなんてといつも思うのだけど「今期の」経費にならないが正しくて、しかるべき期には計上される。自分にいかに計画性がないか。長期の経営計画はあったほうがブレないけど根っこに計画どおりいかないので走りながら考えればなんとかなると思っている自分がいる。しかしながら、組織にいるみんなになにをやってもらいどう貢献してほしいかということを示さないと動くことができない。

戦略的思考

戦略とは「自らがもっていきたい方向に動かすような仕掛け」で「当事者は知らなくてよいこと」と定義している。
ポイントは、誰かが意図したシナリオで動いているのに、当事者はそのシナリオを知らず、動かしているひとの存在すら気がつかない。誰かに動かされている感はまったくない。すべてを知っている人からすればなるべくしてなった結果でも当事者は自分の思うがままに行動していたらなぜかそうなったと感じる。いわゆる戦略的思考はデザイン思考でもあると思う。逆算して組み立てる考え方をしないとできない。現実はロジカルに考えれば積み上がった事実からちょっとずつ進むが、進む方向はすでに誰かの戦略にのせられている可能性があって(自然に任せていると、自分に寄せることはまずできない)誰かの意図する方向にもっていかれる。戦略は進行中にはプレーヤーに対してオープンにされないので、判断のしようがないけど、少なくとも未来を引っ張っているひとは何人かいて、情報を知っている人と知らない人が入り乱れていて、結果的に力の強いほうにもっていかれる。余談だが、史実がおもしろいのは、とりまく環境や当事者を俯瞰できるからで解釈の幅が広い。人間が関与している社会において「自然な」方向はなく人為的だと思う。だからこそビジネスにおいては実現可否に関わらず将来のイメージを強く思い描いていくことは必要。

解任タイミング問題

なぜこのタイミングか。本番まで2ヶ月足らずの時期に。解任するにしても決断が遅すぎる。という意見が多くみられたが、タイミングの問題に関しては正直わからない。オープンにされたタイミングがいまというだけでチームや協会の内部ではもしかするとかなり前からこの話が進められていた可能性は高い。少なくとも思いつきで解任することはないはずで、最後通告が出された状態でのマリ戦とウクライナ戦だったのだろう(にしては勝ちへのこだわりが弱かったようにも思うけど)。田嶋会長も「最後までハリルホジッチ監督のチームを固められるものにしたいと3月も努力した」と言っている。ぎりぎりまで続投の線を探したうえでの協会の決断。個人的にはハリルホジッチ監督に最後までやらせてあげたかった。少なくとも予選突破という結果は出しているし「監督とチームの信頼関係(*)」に問題があったとされているので自らの思いがきちんと伝わっておらず、不完全燃焼感が強い。何よりここまでチームをつくってきて本番の舞台に立てずに終わるというはがゆさ。まるで株主に一方的に決められ、解任事由も納得いかないまま外される社長のよう。システム的にはたしかに協会がオーナーなので、権限を行使すれば解任できてしまうのだが、最前線で闘ってきたトップの心中はいかに。結果なんてわからないのだから一度決めた監督に最後まで賭ける男気があってもいいのでは。こういう考えはぬるいのかなぁ…にしても「監督とチームの信頼関係」って、チームビルディング的にはあまりにレベルの低い次元では…お互いプロなのにできなかったのか。逆にプロだからこそ難しいものなのか。

* JFAニュース 2018.4.9 「SAMURAI BLUE(日本代表) ヴァイッド・ハリルホジッチ監督との契約を解除」

http://www.jfa.jp/national_team/news/00016810/

 

どうやったいま?というプレー

チャンピオンズリーグをひさびさにみた。ペナルティーエリアの外で離れていても普通に打ってくるし、ごちゃごちゃして通らないだろうと思うスペースでもパスを通してくる。止められないと思えるようなパススピードやコースでもとめてくる。たしかにうまい。うまいけど技術よりもプレーの選択肢に驚く。
例えばメッシなんかのプレーをみているとわざと敵に突っ込んでるのではないかと思えるほど。確率を考えればいわゆる数的優位な局面にしたほうが崩しやすいと思いがちだけど、最短距離でゴールに向かえればそれに越したことはないわけで。敵に囲まれてもぎりぎりまでボールを離さない。自分のありきたりな発想が気持ちいいように裏切られ。画面でみていながらするする抜け出してどうやったんだいま、というシーンが何回か。無理だろうというイメージがついてしまっているとチャレンジをしなくなる。そして次第にその発想が出てこなくなる。失敗から学ぶこと大切ではあるけど、失敗しないようなプレーばかりしていると発想が頭打ちになる。ラーニングと同時にアンラーニングすることの大切さ。みんながメッシにはなれないけどできる選手もいるわけで、できなくても最高のイメージを持ち続けることは大事なことと思う。

同じ船に乗る

世の中の創業者は会社の経営権にどこまで固執するのだろうか。株式の2分の1や3分の1をとられると株主総会で経営上重要な意思決定権がもてず、解任されたり拒否されたりするリスクがあると言われる。会社法ではたしかにそうだ。IPOしたときの個人へのキャピタンゲインが少なくなる。たしかにそう。外部の投資家は安定株主ではないのでいつ会社が売られるかわからない。これは少し困りそう。
個人的な感覚では、こうした資本政策は実務との距離があって、社長や執行役員がいちばん気にするところは、実務的に意見が対立したときに自分の主張を通せるかという一点に思う。経営陣だから(会社に対して強くコミットしている、リスクをとっているから)という理由で実務がわかっていないのに口出ししてきたりするのは最悪。純粋に儲かるか否かという基準でガバナンスを効かせるのはよいけど判断を誤ると後ろ髪を引かれる。世の中への貢献ができれば自分のポジションはなんだってよい。おそらくスタートアップは、純粋にそう考えている社長もいる。手段としてお金があり法人がある。であるならばもしわかってくれる投資家がいて実務に協力的であれば本質的にはそれほど経営権に固執する理由なんてないような気がする。

会いたくて嫌になる

自分でコントロールできない感がうまく表現されている。自己嫌悪の要素もある。会いたいけど会えない。いまは会いたいとか思っちゃいけないんだ、でもその気持ちを抑えようとすればするほど会いたくて会いたくて的な。西野カナさんのの歌詞で「会いたくて会いたくて震える」という表現が女の子たちの心を掴んだと聞いたことがある。個人的には槇原敬之さんの「もう恋なんてしないなんていわないよぜったい」が好き。共通してるのは叶わない想い。いまはいないという現実。誰かに頼りたくなるときは精一杯がんばってるのに報われないとき。現実は冷たくてだれかのがんばりに依存しないし、だれかのがんばりに関係なく進んでいく。他人の気持ちはコントロールできない。コントロールできることとできないことは峻別「しなければならない」。がしかしこの「しなければならない」を「することができる」かは別で自分の気持ちをきちんと割りきれないからこそ共感力の高いパワーワードになりひとびとのこころに刺さるのだと思う。わかるよでもできないよねというやつ。