なにそれ経営者のブログ

仕事と彼女と人生観

市場とはなにか

市場は誰が決めるのか。市場はつくるものである?市場なんてあるのか?市場をみたことある人はいるのか?
リアルにあるのは個々の商取引だけだ。それらが無数にあって、誰かが後付けでグルーピングしているだけにみえる。市場規模とか市場があるとかないとか、それこそ魚が1匹売れれば市場で、それを集約するのって傲慢じゃないか。どれくらいの市場規模(売上予測)があるかは、その会社だけの指標だから、顧客視点ではない。購買行動はカテゴリーづけられた単純なものではないので、そこでやっぱり企業側の認識のズレが生まれてしまう気がする。ただその製品が売れるという事実のみで最初から市場なんてない。
この話をしていたら「野菜とか、果物とか、魚売ってる場所ですね。」と教えてくれた人がいて妙に納得。市場とは売っている場所。場所という定義はしっくりくる。あるのはwhatとwhereという状態だけで、whoとかwhy(売りたいと思っている人やマーケティングした結果としてのカテゴリ)などはわかりようがない。複数の解釈ができることは、決めたとしてそうでもあるし、そうでなくもある。場所はなんとなく「いちば」に近い。「しじょう」と「いちば」は本質的には同じだが「いちば」のが親しみがもてる。「しじょう」はひとつの製品がたくさんの人に売れるときにつくられた概念だとすると、もはやそういう時代ではない。

そういうこと

深夜2時くらいに何十万と接待していい仕事したなと思ってた矢先に、いきなり社長から電話がかかってきてクラブのねえちゃんにタクシー代を払わなかったことに激怒されたという話を聞いた。払わなかったことであとから請求される額が高くつくという理由から。無駄なことにはいっさいはらいたくないし、払う意味がわからない。そういう感覚は圧倒的に正しい。正論はむかつく。けど正論は正しい。だからこそ人として付き合いたいと思える。人はいくつもの帽子をかぶっているけど、そのポジションでしかるべき行動を貫く人は瞬間的には反発されるけど最終的には人がついてくる。コピー代数円でも蛍光灯の節電でもめちゃくちゃむかつく。たぶんそういうこと。

やり方が違うだけ

やる気がおきないのはやるべきことが間違っているわけではなく、やる気を起こさせるコンディションにないことが問題。やる気がないのは自分のせいではない。やる気がでるような状態においていないことがまずい。体調をよい状態にキープしておいたほうがいいに決まっているし、気持ちが前向きになるようにつくったほうがよい。方法論は何回なおしてもよく。もしそれでものってこないのだとすると、まじで自分が好きになれないことなのかもしれない。でもたいていのことは好きになることはできて、そのためにやり方を疑い、自分に最も適した方法を編み出すのはやることそのものより重要だと思う。まじめにがんばるのも大事だけどがんばれないときに自責にするのではなく自分に合っていないだけだと考えること。視点のずらし。まわりは批判してくるけど誰かに言われてよくわからないままできるくらいなら自分で考えて納得したうえで失敗したほうがよいとすら思える。短期的には結果がでないかもしれないけど、長期的には自分で決めたことが勝る。

おつかれさまでございました

「おつかれさまでございました」と、とっさに顔色をみてかける言葉を変えるCAさんは素敵だなぁと思う。「ありがとうございました」と心を込めて言うことはできるけど、そのひとの状態状況をみて適切な言葉を選べるか。丁寧な言葉遣いでマニュアルどおりに接してもらえれば、マニュアルが素晴らしいこともあって気持ちがいい接客をされることもあるのだけど、ふといつもどおりでないことがおきたときに、機転を利かせて言えるか言えないか。日々自分の言葉として意味を理解してちゃんと伝えているかが問われる。しかし疲れていた顔色でもしていたのだろうか、なぜ仕事帰りだとわかったのだろう。

行動←モチベーション←背景

応援される人の条件のひとつにモチベーションが本物であることがあげられていた。
「事務所からやれと言われたからとか、何となくやってみたというのはすぐにバレてしまいます。モチベーションの背景は、伝えたいことがある、有名になりたい、モテたいでも何でもいいんですが、その源泉となるやる気の絶対量が大事です。」(*)
やりたいとかやりたくないとか関係なくやれる人がやる、という状況下だからすごく苦しい。であるならば、やりたいことを作り出すしかない。やりたいことだけやるというのは簡単なようですごく難しい。自分にうそをつかないともいえる。また、背景はなんでもよいことも見落としてはいけない。実際のところそんなに堂々と言えるようなかっこいい背景から始まっているひとはどこまでいるのだろう。自分のためだけではがんばれない。ついてきてくれる人がいる、その人によかったと言ってもらえることくらいしかがんばりきれない。
ところで、Googleの行動規範からDon't Be Evilが外された(**)らしい。それとモチベーションの源泉はなんでもいいことは関係ないが、共感が得られたほうが加速しやすいのであれば寄せればよい一方で、本質的にはそういうものは自分から湧き出るものであって、わざわざ自分にとって難しいほうを選ばなくてもよい。悪魔的になれとは極論だけど、行動をつくるためのモチベーション、モチベーションをつくるための背景。背景までもぐれるて意識できると強い。

* 2018.6.4 ダイヤモンドオンライン SHOWROOM前田裕二が語る、「応援したくなる人」の三つの条件
https://diamond.jp/articles/-/171413?page=2

** 2018.5.24 ギズモード Google、行動規範からみんなのモットー「Don't Be Evil(邪悪になるな)」を外す
https://www.gizmodo.jp/2018/05/google-removes-dontbeevil.html

ガーナ戦

まったく期待のできない内容。がっかりだ。まずボールをどこでとるのか。いわゆる組織だった戦術はなく、個人が局面でがんばっているだけ。前線でパスコースを限定して出させたところではさみこむみたいな何年も前のサッカーに戻った印象。戦術がはまらないから結局目立って動く人間にボールが集まり、個人の能力でなんとかしようとするけど当然通用せず。守備では足りているのに足りていない。ミスからの失点だから修正できるという人もいるが、ミスからしか基本的には点は取られない。これを勝負をかけた試合で2回もやってしまうあたりがいまいち。攻撃も何本かショートカウンターをみせたがボールを奪って守備が整わないうちにフィニッシュまで。そんなことは誰だってわかる。ガーナはチャンスが少ないながらもキレのあるチャンスを何度もみせたが、日本は得点を感じさせるシュートがほとんどなかった。
西野監督はこの試合、明らかに勝ちにこだわっていた。失点直後から明らかに追い込まれた表情をみせる。狙ったわけではない、たいして惜しくもないシュートに悔しそうにする。完全になめられるパターン。そこじゃない。まじでそこじゃない。むしろ開き直って選手を試すと言ったってよかったんじゃないか。たかだかテストマッチだ。なぜ目先の試合にこだわるのか。ワールドカップで勝つためにこの試合に勝つことがほんとにベストな選択なのか。比べることに意味はないけが、やろうと思ってできなかった監督とあえてやらなかった監督。試合直後のインタビューで「トライはしたけど残念」。監督自身が迷っている、歯切れの悪いコメント。表情から推測するに、この状況を整理できているのは長谷部くらいにみえる。途中交代したあとベンチでぬかれた表情はすごく冷静で穏やか。このままいけば、よくても一分二敗だろう。

 

ルールベースな考え方

ルールをつくる。ルールに従う。この2点で決まる。前者のほうが圧倒的に大事で、適用される側は納得できないときどちらに影響をうけているかわけて考えるべき。前者なら自分が決める側にまわるか所属する会社を変えればよく。後者なら上司を変えるだけでよい。社会的なルールであればルールの枠組みを変えるのはしんどい。社内ルールであれば比較的、論点は少ない。ルールベースはアンチの態度でしたが、ルールは機能すれば意思決定プロセスを簡略化できてよいなぁと思い始めてます。この感覚はいままでになかった。ルールの有効活用は意識的な思考停止。