なにそれ経営者のブログ

仕事と彼女と人生観

それでいいのか問題

ものごとを進めるために(間違っていたとしても)相手のロジックにのっかるてのは、こちらの倫理観が問われる。たぶんそれで進むけどそれでいいのかっていう。仕事だと売上ですべてが正当化され。絶対的にこちらのがみんなにとってよいという確信があるときは、わかってほしいと思うけど、わかりあえない、もしくは、いまはたぶんわからない、てことも。

付き合うということ

相談があります。ぼくとちゃんと付き合ってもらえないでしょうか。ポジティブにうけとってほしいんだけど、おれのことこころからまだ好きじゃないでしょ。それはいままでの発言とか行動をみてそう思ってるのかなぁと感じるところがあって。なんでいきなり好意を示したのかとか、あまり人と付き合わないて言ったところとか、本気で言ってるのかいまいち信用できない、疑っているところがあると思う。おれはあなたのことをいっぱい素敵だなと思うところもあるけど、正直まだよくわからないところもある。全部がわかったうえでというのは現実的じゃないけど、できるだけあなたのことを知りたい。とにかく気になるというのはほんとだし、わからないまま、なにか言えないことをかかえながら続けていくのはお互いにとってよくない。だから本気でお互いに相手と向き合う期間をつくったほうがよい。たぶんまだわからないから不安に思ったり信用できなかったりするんだと思う。
そこで提案です。ちゃんと付き合ってみない?それでだめだったらだめだって言ってほしいし、おれも嫌なら嫌っていう。そうしないと、いつかそうやって気がつくときがくるし、でもその判断ははやいほうがいい。そういう結論はいまのところ考えられないけど、たぶんちょっと疑いながら続けていくよりはよい。おれも頼りたいし頼られたいから。だからちゃんと付き合ってほしい。いかがでしょ。

…業務提携の話。

理論を使わない

ただやる。ただ良いものをつくる。意味を問わない。素敵だな美しいなとおもうときそこに理論は存在していない。当事者は難しいことはよくわからないけどとかいいながらかなり高度なこと(その人でなきゃ、他のひとじゃ絶対できないという意味で)をしていたりする。わかったような気になって外から眺めてしまった瞬間、鮮度が落ちる。ヒットしているコンテンツはもしかすると1人の天才がプロデュースしているのかもしれないけど、それを具現化し表現している人たちはいい意味であまり考えずに仕事をしている。もしかしたらその人たちは本物を知っていて才能への諦めがあるのかもしれない。自分を表現するよりも才能をインフルエンスするほうが世の中の人のためになるということを素直に認められているのかもしれない。人のために自分を消せるというのは強さだと思う。

ファールの考え方

イングランドのサウスゲート監督は「NBAの試合で見られるピック・アンド・ロール(ボールを持った選手をマークするディフェンダーを他の選手がブロックし、そこからプレーを展開する戦術)」をサッカーに応用したという記事(*)がでていた。
今大会、イングランドコーナーキックフリーキックからの得点はグループリーグで4点。ベスト4までの決勝リーグで1点。明らかにプランどおり。しかも斬新な。計画的得点に思われる。サッカーは他のボールゲームに比べるとコートが広く時間も長いため、ひとりあたりのスペースが広く与えられ、走行距離も多いが、局所的には密集してスペースがないこともあり、他のスポーツと似ている戦術が使えるともいえる。ポジショニングはアメフト的だし、セットプレーはバスケ的。
動的に動くゲーム中と静的なセットプレーは別のものとして、切り分けて考えられる。しかも静的なほうはよりプランに忠実に再現できる。かつて、日本代表はセットプレーからでしか点を取れないと批判されたこともあるが、それはその通りで、チームの動的な戦術とは別に、静的な戦術は組み立てられるからだろう。PK戦なんてどのチームでもほぼ実力差はない。なのでスコアレスにもちこんで、セットプレーからの一撃でしとめるみたいなこともありえるし、そこの精度をあげることができればそれだけ勝利に近づくともいえる。
逆に言えば、ファールマネジメントも重要で、動的なゲーム中から静的なセットプレーはうまれるわけで、その接続部分のファールをどう考えて守るか。あたりまえだが、必要なファールと不必要なファールがある。ペナルティエリアの近くでは安易にファールはできないし、逆に必要なファールを瞬時にもしくは事前にどこまで決めておくか。イエロー覚悟でもとめなければならないシーン、流れを切らなければいけないシーンはどうしてもある。これは個人のサッカーセンスによるところもある。また、ファールは狙ってとれないから審判との駆け引きもまた考えなくてはならない。審判もどのラインで笛を吹くかみたいなことは、均一にすべきことはわかっていながらゲームごとにやっぱり違う。さっきのこのプレーで笛が吹かれないならここまでは大丈夫なんだなと、選手は常に考えている。実際ユニホームを引っ張っても吹かれなかったり、わざとぶつかりにいって敵は何もしていないのにファールと笛を吹かざるを得ないプレーもある。
審判側は主審ひとりじゃあまりに負担が大きいため、VARという複数人のジャッジ、改めての確認というシステムを持ち込んだが、これは選手がそれだけ巧みになってきていることを示していると思う。セットプレーを綿密に組み立てているイングランドは、ディフェンス面では極力ファールをさけてボールを奪っている。必要なファールはとりにいき、不必要なファールはしない。スウェーデンとの実力差があったとはいえ堅固な試合運びをした。クロアチアはロシアに延長後半セットプレーから追いつかれている。意図しないかつ不必要なファールがほとんどだとは思うが、セットプレーの起点となるファールをチームとしてどう意識しているかも見方のひとつとして興味深い。

*)2018.7.4 WSJ 「W杯イングランド代表、躍進の裏にNBAの戦術 」
http://jp.wsj.com/articles/SB12230827600627663439504584325422430767140

 

 

リアクションサッカーと創発的戦略

事前に過去のパターンを分析しどこまでプランしておくかは、時間とともに目まぐるしく変わるゲームにおいては議論の対象になる。ルールベースできめるところと原則に従って個人の裁量に委ねるところのバランス。経営戦略では、とくにスタートアップなどは中長期的な計画よりも日々の変化率を重視してざっくりとした方向性だけ決めて走り出し、現場の改善活動の積み重ねで結果的に戦略と呼ばれるものをつくりあげていくことも多い。変化の激し過ぎる業界においてはコストをかけて緻密に分析して計画することがあまり意味を成さなかったりする。
サッカーにおいて、守りながら攻める戦術があるが、決め打ちでいってしまうと、相手が攻めてこないと機能しなかったりする。例えば、スウェーデンとスイスの試合は、決勝ラウンドにもかかわらず、スコアレスのときから、お互い相手を攻めさせたく、双方ディフェンシブで観客からブーイングがでるほどのかなり退屈な(さすがに点をとられてからは攻めざるを得なかったが)ゲーム展開となった。チームの特徴、スタイルを変えないという一貫性はあるが、対戦相手によってハマるときとハマらないときがある。一方で相手チームにあわせて自分たちのフォーメーションや戦術を変えるリアクションサッカーは事前の分析があたればという前提があるもののある程度は機能することが保証されている。今回のワールドカップからタブレットの持ち込みが可能になったようで、後半からがらりと変えてくるチームも、もしくは後半15分過ぎから動いてくるチームも多いように思う。がらりとまでいかなくとも、ちょっとしたポジショニングを変えてミスマッチになる確率を高めたり、いわゆる中間ポジションのような敵の間でマークがつきづらい位置でボールを受けたり、するのは個人のセンスもあれど分析スタッフによる現場での微調整によるところが大きいと思う。
ソフトウェア開発におけるABテストのようにワールドカップ決勝ラウンドでさすがに2パターン試すみたいなギャンブルするチームはいないけど、西野監督が直前にフォーメーションを4-3-3から3-4-2-1と大胆に変えていたのはいまとなっては、日本はリアクションサッカーをするというメッセージだったのかもしれない。戦術の理解度、熟成という意味では短期間ではほぼ無理な話だけど、もし対戦国がこれまでのパターンにない戦術をとってきたならば、即座に反応しなければならないわけで。ワールドカップのような重要な大会では事前にわかりきった戦略をとってくるチームは強豪国を除いてはない気がする。ちなみにイングランドスウェーデンの試合は、イングランドが圧倒的にスウェーデンのうえをいき、それこそ相手が守ってくるということを想定したうえで中盤を消しロングボールを跳ね返し、スウェーデンがほぼ何もできずに終わった。たしかに1〜2回は決定機はあったが、それを決められていても、おそらくイングランドは勝ったと思う。これは強豪国にしかできない。
戦略は動的に形成されていき、創発的なプロセスが重要であることは誰もが理解しているが、これを実践に落とし込み実行するのはそうとう難しい。

知らない怖さ

その選択をしてしまった瞬間に終わるということがあり、選択したほうが悩むというのは大変理不尽な話で。そもそも誰でも同じ結果になるわけで、違う選択をしなければならない。同じだと思っていてもぜんぜん違うことがある。専門知識の差があればなおさら。わかりようがない。だからこそ、技術の均てん化は非常に重要でそのためにもサイエンスは必要。ブラックジャックの時代ではなくチーム医療。

ワールドカップの周期

ブラジルのときとロシアのときと。それぞれ自分の中を通り過ぎ、去っていった女性がいる。ワールドカップの周期はわかりやすい。そのときはその子しかみてないから比較なんてしないけど、振り返るとせつなくなる。胸が苦しくなる。ゲッチェの決勝ゴール。そのときの彼女とはどっちが勝つか賭けていてどっちにしろどちらかがおごるからそれを口実にデートできるみたいな。高校生かよ。初々しい。「ゲッチェかわいい」。そのことばにちょっとした嫉妬を感じながら、気の抜けるようなかわいらしいコメントを残し。そして今回のロシア。まだ決勝トーナメントの途中だけど「カップの絵がかわいくないー」。フリーキックてなに?なにが楽しいのかわからない!とか言いながら、でもつきあってくれた。「ベルギーみんなかっこいい」。こういうしょうもないけど彼女たちの独特な感性は刺激的で、そういうことばはたぶん忘れない。このくそ忙しい時期に深夜のワールドカップはほんとにやめてほしい。結局終わったのは3時とかで朝6時に出なきゃ、みたいなこと言ってたなとか思い出すときが4年後にまたくるのかな。始まりがあれば終わりがある。始まらなければ終わらない。四年後はすでに始まっているのだろうか。そのときは誰と一緒にいるのだろう。既に出会っている人?これから出会うひと?決めているのだろうか。 

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