なにそれ経営者のブログ

仕事と彼女と人生観

自分にとって

自分にとってはという観点は成長を感じるうえで大事。できている人からすればそんなことと思うだろうけど、自分ができなかったことをできるようになったことは疑いのない事実なのでそれをひとりかみしめるのも悪くない。たとえレベルが低いことだと思われても。そもそもレベルの高さは相対的である。

できること

コントロールできる範囲でやりたいようにやる。全てを結論しなくても自分の権限の範囲内でなんとかするという結末がなんとなくよいように感じた。最後は人を手当てして残りの期間を。自分以外で自分に責任がある人たちに対しては自分ができることをしてあげたい。

無償

結婚しなければならないと強制してくる人は何がそうさせているのだろう。全くわからない。そして人に自分の価値観を強制してくるのはほんとうにやめてほしい。血の繋がりがあると特別その権利を持つのだろうか。自立して自己で完結しているのであればもはやそんなことはどうでもよいだろう。勝手にさせてくれよと思う。金銭的なつながりだけのほうがさみしいけど明確でやかりやすいこともある。家族は見返りを求めず誰かのために何かをする特殊な集団、ある意味で人間的な集団ではあるけど、求めていないのによかれと思って押し付けてくるのは筋違いだ。

方向性

誰に見られているわけでもないけど、自分の本心をここにはなんとなく書けていなくて、会社をたたむのであればそれまでのストーリーを記録しておくことは大事かなと思ったりもした。キャッシュがいまこれくらいあってあとなん年くらいでみたいな逆算をするとまあなんとかなるだろうと。そもそもこのビジネスがうまくいかないのは実態がないからだ。擬似的な世界で操作していることにあまり意味はない。心をふるえるようなことはたぶん、パソコンのなかにはない。

感覚が開かれる感覚

生々しい筆跡。インクの飛び散り。滴り。表面の凹凸。凸凹。キャンバスの大きさ。「少なくとも鑑賞者に二回観てもらえるペインティングの制作を試みています。」まさに。パリのポンピドゥー・センターに行くことを考えれば都内でタクシーに乗ることなんぞ比較にならない。ぎりぎりまにあった。「明確な具象的モチーフの意図的な使用」「抽象的なものよりもさらにいっそう曖昧」「イメージは一種の原材料として機能」(*)意識的に何かを描こうとしていない。何かを観て想起する前の原理的なポイントの抽象化。本物を観ると感覚が開く。明らかに異なる感覚が立ち上がり。言葉が追いつかない。

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BERNARD FRIZE
MARCH 22 - MAY 8, 2019
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