なにそれ経営者のブログ

仕事と彼女と人生観

コンセプト

売ることを目的にしないアートはどうか。現実逃避。描くことで救われる人たちもいる。作品を売るというマーケットは難しい。ユニクロのデザインはかなりクールだし、3〜5万円で買わせるのはできたらよいけど、いますぐではない。原画や技法のオリジナリティを確立してから。ユーザーではなく、アーティストからお金をもらうビジネスモデル。セルフプロデュースの支援など。売れる作家になるまでの伴走。仕組みがないから買ってくれないのか、レベルが低いから買ってくれないのか。ギャラリー経由、オークションで値がつく道でなく、一般消費者にアートを買ってもらうためのプロデュース。狙うのはアートとデザインの中間。デザインのように誰かの課題を解決するのでなく、意味のないもの。どうでもいいけどおもしろいもの。おもちゃに近い。ダサいのにレベルが高いジャンル。いわゆる才能の無駄違いというゾーンを攻めたい。エンターテイメントの市場。

所与

人の気持ちはグラデーションで好きになったり嫌いになったりする。嫌いになったら離れればよいけど、親族は何かと社会的保障がされているという意味で固められていて逃れられないこともある。与えられし命なので親子関係は多くの人々が幸せになれるよう社会設計がされている。はず。何も保障がなかったとしてみんな結婚とかするのだろうか。純粋に心理的なつながりだけを切り出したとき、数的に増えるのか減るのか。

フローとストック

続けられることがすごいと言われたけど、言いたいことがあるのだから仕方がない。承認欲求はそれほどでもなく。と思っていたらずいぶんと更新をできずにいた。Twitterをはじめた影響はあり。細切れの思考を綴っているのと文章にして構造化させるのはまた違う。

シルクスクリーンと手作業のコスト

境界がクリアでデザイン的にカッコ良くできる。大量生産向きだと思った。もともとは印刷技術なので、大量であることに違和感がない。レーザープリンターが発達し、全く寸分の狂いもなく紙にプリントできるようになった。シルクスクリーンでの色の濃淡やちょっとしたズレが手触りの味を出す。あえてその部分を求めて使う人がいる。完全な社会での不完全の価値。不完全があり得る中での完全への追及。シルクスクリーンでアートを作っている人たちはやっぱり手作業のコストを対価に変えている気がする。ビットコインの価値の源泉は電気代でエネルギーであるという説明に、ずっと心をつかまれている。コストがかかるものに価値は生まれる。心理的芸術的によいものはコストがかかっているという持論(手書きの線のコストと呼んでいる)。さて自分は何にコストをかけるか。