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なにそれ経営者のブログ

女の子は好き。でも結婚したくない。

過去をなぞっているかもしれないリスク

新しいことをやろうとすると、結局、同じ答えにしか行き着かないのではないかという恐怖がある。これまで多くの人たちが挑んできて同じようにできなかったことで、いまの状況があるのだとすると、自分で考えているようでいて実はぜんぜん考えていない可能性がある。自分が知らないだけで同じ道をたどっているかもしれない。アカデミアの世界でマスターベーションして気持ちよくなることを目的としているなら問題ないけど、我々はビジネスをしている。新しいことや付加価値のあることを生み出さないと死んじゃうわけで、のほほんと知的好奇心で仮説をたてたところで、行き着く先は同じ…だとするとやばい。もしかすると、現状すでにあるクソのような状況が答えにしかならなくて、過去なんとかしようとがんばってがんばっていまがあるのかもしれない。そこを超えていくためには過去のトレースやロジカルなアプローチでは不十分で、正当な方法では追いつかない。後ろ向きに考えているのか前にむかって考えられているのか。そこをしっかりと意識しておかないとかけた時間の割に出てきた答えがそれかよ的になる。

インセンティブのデザイン

コーヒーだと、穴を掘るのは歩合制、木を植えるのは時給制らしい。利益に直結する部分をどう考えるか。時給ができたのは成果がでるまでに時間がかかるか、もしくはわからないからか。仕事が分業化されたのと同じタイミングな気がする。
カヤックさんは、儲かったバケツの中からサイコロでボーナス決めているらしい。根拠なんてないのだから適当でいいやんけと。すごくよくわかる。かといって自分たちはそこまで振り切れないので、せめてロジックは過去ではなく、未来に張ろうということで。インセンティブは、従業員の性格で決めることにした。過去の根拠を示してロジックを組み立てるのでなく、未来への投資。時給や単価の仕事内容だと、利益への貢献は意識しにくいし、全体をみていないので会社の利益率なんてわかりようがないし、知ったとしても配分比率の根拠なんてないから、各自の性格をふまえて、決めたほうがよいかと。たくさん貰えたと感じてよりもっと働きたいと思うやつは多めに、調子こいて評価されたと勘違いするやつは少なめに。要はこれまでの仕事の成果とか対価は無視して、より会社に貢献させるために変動させる。説明責任は最低限にして、ムダな算定根拠はなくす。ひとつしかこたえのないものなどない。複数の答えをだせるもののロジックは薄い。

動かす側にならないと負ける

変化する営みは必ず仕掛けたひとがいる。自分たちの知らないところで物事が決まっていく感覚はあまりよくなく。決定されたあとにおちてくる情報は外の人と変わらない。中の人として知るタイミングではない。現場の人たちから似たようなことをやっているなということで自分たちに声がかかったとき、勘違いして営業のチャンスととらえるのはみえていない証拠。チャンスかもしれないが、そんなうまい話はそうそうなく。みえている者は俯瞰し、自らで大きな潮流をつくっている。末端で別の動きをしたとしても大勢に影響はない。潮流でものごとをとらえていないと、必ず流され、巻き込まれる。自分たちのつくった波であれば自分たちがコントロールでき、いちばんうまくその波に乗ることができるわけで。現場の人が何も知らずに声をかけてきたとき、自分たちの仕掛けたことか誰かに仕掛けられたことか。その時点で予測できていないとまずい。

意思決定と行動は切り分けられる

「慣れてもらわないと困る。」これは明らかに意識が高い。すでに決まったあと。やらないという選択肢はない。他の人に代わりにお願いするという選択肢もない。まず決める。それで半分は終わる(この時点で何も始まってはいない)。やるのかやらないのか。なぜやるのか。そもそもやるべきなのか。やりたいのか。いちどちゃんと決まればあとは行動するのみ。決めずに行動すると、やっている最中にブレる。やめようかなとかなんでやるんだっけとか前の段階に戻る。やろうとしているときにはその手の話はいらない。逆に、決めの段階は、できるできないはいらない。やり方は決めた後から考えるべき。意思決定と行動は、切り分けられる。なので、行動の源泉に思いがあるほうが強いけど、行動のみでも(やる気を出してやるかはさておき)十分成り立つ。意思決定を放棄して与えられたポジションで求められることを無心でやる人もいる。意思決定だけして部下に指示する人もいる。世の中的にはたぶん意思決定と実行は別の人になるほうが多い。

品質と価格は依存しない

サービスの良さと値段は独立であり、依存関係はない。値段をみて、そのものをいいとか悪いとか感じるのは愚の骨頂。商業ベースの価値基準にハメられているだけ。そのものの価値ではない。高くても悪いものはあるし、安くても良いものはある。良し悪しなんてのは主観で、自分の感性で感じとるべき。くそダサい服が高値で売られていることがある。ダサいものはダサい。それをもしかしてダサくないんじゃないかと考えなおすほうがダサい(どうして高値がついているかを知ることは大事)。
ビジネスはお金が共通の指標なのに残念ながらお金はビジネス(の構成要素であるモノやサービス)ととても相性が悪い。マネタイズという言葉ができたとき、世の中の人は気付いちゃったんだと思う。モノの値段とやってることって関係ないじゃんと。サービスだと、契約の話と実務の話はわけてすることが多いし、労働の対価なんて表現は労働を好きでやっているひとにはあわない(面倒な行為を代わりにおこなうというニュアンスなら、カネもらえないとやってられんという意味で対価だと思う)。
マーケットのニーズと現場のニーズは違う。これも根は同じ。最初からエグジットを考え、M&AなりIPOを狙って事業をしているひとと、困っているひとを助けたいと思って事業をしているひとは、世の中によいものを出したいという方向性は一致してて、アーリーステージなどでやるべきことは重なるけど、判断が異なる。後者の場合、極論すれば儲からないけどやるという判断もあり得る。どっちサイドにアクセルを踏んでいるひとかを見極めるのには慎重にならざるを得ない。

スケールするとは

「スケールする」とはどういうことか。スケールすることは良いことであるかのように語られるが、いまいちぴんときていない。雰囲気的には、成長率前年比300パーセントだぜ的なイケイケスタートアップの爆発的な(二次関数的な)成長曲線のイメージはある。さらに、単なる成長ではなく、多くの人に受け入れられるという意味も含まれている気もする。
もともとの言葉の意味からすれば、スケーラビリティとは、システムなどの拡張性で「利用者や仕事の増大に適応できる能力・度合いのこと。リソースの量に比例して全体のスループットが向上するシステムはスケーラブルなシステムと呼ばれる。(*)」だそう。システムを事業におきかえると、利用者や仕事が増え、生産性も向上される、といったところか。ラフに解釈すれば、規模が拡大するつれ単位コストが小さくなるといういわゆる「規模の経済」に近い。であるならば、必ずしもスケールは必要ない。
社会的にインパクトのあるサービスをめざしてあるのであれば、スケールは避けられない。また、レバレッジをかける投資家にとっては、確かにスケールは必要だろう。むしろスケールしないサービスには興味がわかない。
一方で、大きな絵は描かず、堅実路線でいくのであれば、別にスケールせずとも事業はつくれる。単一事業で生産量を増やして固定費もしくは変動費をさげて、コストメリット出すなんて話はそもそも競合ありきの市場に正面から突っ込んでいくような戦略で違和感が否めない。
スケールの意味はいまだにあいまいだが、どちらかといえばスタートアップや投資家の用語として考えるほうがしっくりはくる。

(*)https://ja.m.wikipedia.org/wiki/スケーラビリティ

 

補足)細胞と同じで利用者が次々と死ぬという意見も。一過性がある、購入サイクルが速い、新しすぎて稼げないなど。短期決戦か。次々に死ぬなら次々に生き返ることも。スケールはリスクヘッジの手段ともいえる。

年齢コンプレックス症候群

フランス大統領にマクロン氏が当選した。産経、毎日、時事通信東京新聞、日テレなど、多くのメディアの見出しに最年少という文字が踊っていた。39歳。たしかに史上最年少は事実だし、数年前まで無名だったことを考えればすごい偉業である。がしかし、年齢ってそんなに注目すべきことなのか?少なくとも海外の主要メディアで見出しに youngest と書かれている記事は見当たらなかった。
この違和感はデジャブか。少し前のこと。FC東京の久保選手がJ1デビューした試合後のインタビューで「たいしたことしていないのに、注目されるのは歯がゆいものがある。」とコメントしていた。日本のメディアに対する痛烈な批判。15歳だから、バルサに所属していたから、みたいな外側だけみて取り上げられる。それだけでニュースバリューがある日本。久保選手は言葉にはしていないけど「だからなんだ(関係ねぇしそんなの)!」と感じているように思えた。マトモな感覚だと思う。
過去と比較しても、いきなり所属とか言われても意味がないし興味もわかない。いま何ができるか。この一点に尽きる。初対面で名刺交換することがマナーとされている国なので仕方ないのかもしれないけど、形式が重視され過ぎるのは少し寒い。