なにそれ経営者のブログ

仕事と彼女と人生観

リーズナブルな規制

アーキテクチャの存在は否定できない。何もしないとデフォルトバリューになる。だったら適切なアーキテクチャをデザインすべきだ。」という考え方がある。日本のAI規制は総務省ガイドラインの作成が進められており「非規制的・非拘束的なもの(いわゆるソフトロー)」で、この思想に近い(*)。ハードコアな法規制ではないが、無規制でもなく、その中間。グラジュアルに落としどころを探そうとしているのはどこの業界も同じようで。仮想通貨業界でも、日進月歩で法規制が整備されつつある(**)。サービスを消費する場所がネット上になると「規制の競争」と聞いたことがあるがまさにそれで。国を問わず自身のポリシーにあった規制を選択できるのがよい。多様性と移動可能。日本はビジネスフレンドリーとユーザー保護の折衷案でベストミックス。中国のようにユーザーがん無視で当局がやりたいように規制したり、アメリカのようにビジネスフレンドリーな規制を目指したりしていない。規制することは、規制される側にとっても意味が感じられるものにしたほうがよく。自分が日本人だからかもしれないけど、日本が目指している規制の方向性は世界標準にしてもよいくらいと思う。


(*)2018.7.17 総務省 情報通信政策研究所
「AIネットワーク社会推進会議 報告書2018の公表」
http://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/01iicp01_02000072.html


(**)金融庁 仮想通貨 法令・規制
https://www.fsa.go.jp/common/law/index.html

it could be

アメリカの科学者、クリストファー・ラングトンは、人工生命の研究について、life as we know it(われわれがすでに知っている生命)ではなく、life as it could be(ありえたかもしれない生命)と定義し、従来の生物学とは異なるアプローチで、生命のダイナミズムを捉えようとした。


Artifial Life is the study of man-made systems that exhibit behabiors characteristic of natural living systems. It complements the traditional biological sciences concerned with the analysis of living organisms by attempting to synthsize life-like behaviors within computers and other artificial media. By extending the empirical foundation upon whichi biology is based beyond the cabon-chain life that has evolved on Earth,Artificial Life can contribute to the theoretical biology by location life-as-we-know-it within the larger picture of life-as-it-could-be.


この系譜を受け継いでいままさに人工生命の研究が進められている。生物学は複雑な生きている組織をみてトップダウンでなされるが、人工生命は単純なルールを決めてボトムからはじまる。人工生命のキーコンセプトは”emergent behavior”(創発的な動き)で、個々の動きは独立しているが、全体としてみると、ローカルのインタラクションを超えた現象が現れるという。この論文はあとでじっくり読みたい。


* Christopher G Langton「Artificial Life」
https://archive.org/details/Ar tificialLife_201708/page/n0

余白の芸術

田中さんの公開制作が近くのカキモリである(*)としってこれは行かねばということで会いにいった。2日間で黒に2枚と白に2枚、合わせて4枚描くみたい。ぼくが行ったのはちょうど黒いキャンパスに描き終わったころで…いろいろ質問にこたえてくれた。ありがとうございました!


田中さん:「黒いキャンパスに描くことはほとんどないから、いつもと少し違う。白いキャンパスに描くときは描きすぎないよう余白を残すことを意識している。黒はもともとつまっているのでそこからどう色を入れていくか。公開制作だとどうしても描き過ぎてしまうことが多い。実は今回90分でしたけど、すぐ終わっちゃうんですよね。」


と言いながらやって見せてくれた(ほぼ完成していたのにごめんなさい…)。紙に絵の具をつけてそれをキャンパスにうつして描く。その線の感じが好きなんだとか。余白については、黒が足し算で白が引き算のような感じなのかな。


ぼく:「描く前にイメージがどこまでできているか、気分によって絵が変わってしまうことがあるか。」
田中さん:「いままでにみたことのないものを描こうとすると自分の才能のなさに嫌になる。描こうと思えない状態で描きはじめるとそこから絶対にダメなものができる。そこから立ち直るほうが大変だから描かない。朝から夕方くらいまでなにもなにも進まないこともある。」


ぼく:「職業として絵を描いていると、描けないというのが許されない、描かなけれいけないこともあると思うが、そんなときどうしているか。」
田中さん:「遊びにいっちゃうこともあるし、ほかのことをする。個展の締め切りとかに迫られるとすごく苦しい。外で描いているとき、正直描けているものがよくないなと思うこともあって本当に申し訳ない気持ちになるけど、どうにかそこからいい方向にもっていっている。」


ぼく:「毎回すごく精神的な負担がありそうですね…」
田中さん:「そうなんですよ。なんとかやっている。すごく悩んでいても、なんにもできていないことがあるから、そのときにできてないじゃんと言われるとすごくつらい。描いた絵をみていいものができたときはうれしくなるし、ぜんぜんだめなときはすごく落ち込む。」


描こうと思うラインは自分でもよくわからない、というより、言葉にできない感覚なのかも。自分のなかに深くもぐってどこかで描こうと思えるスイッチが入るタイミングはたぶんある。あるけどこればかりは本人にしかわからない。


ぼく:「ちなみにこの作品はどんな感じか」
田中さん:「これに関しては迷いなく描けた。」
ぼく:「時間が巻き戻ったとすると同じものは描けるか。」
田中さん:「描けない。そのときに感じたことが違うのでまた、違う感じになると思う。すでにもうここをこうしたいという思いがある。こういうのはずっとやっていられる。今回は刻むことが前提だけど、全体のバランスをみてつくっている。全体がよければ部分もよくなる。」


完成イメージは最初からあるわけではなく、キャンパスに色を重ねていってこの色の線があったほうがいいなとか、こういう感じの面があるといいなとか、すこしずつ現れてくる色と対話している。そもそもできあがりのイメージが最初からできているものなど少ない。物理学者のディラックは「自分の考えた数式は自分より賢かった」という言葉を残したそうだが、人間は自分の想像以上のものをつくることができる。ぼくたちがライブに惹かれるのは、大量生産される工業製品に囲まれて生きていて、不自然な社会にいる反動で、だからこそピュアなものに心が動かされるのかもしれない。同じものを描けない、そのときの気分を作品に閉じ込める、これはもうほんとうに憧れと尊敬でしかない。田中さんはぼくとほぼ同年代で、しゃべってみた感じ、素朴で自分に素直な人だなぁと思った。dearmoonプロジェクトでぜひ月に行ってほしい。そしていつか、ぼくもここに自由に描いてくださいとお願いしたい。


(*)カキモリ
http://kakimori.com/?p=8200

スピーキングは筋トレだ

言いたいことがあればなんとなく伝えられるのだけど日本語の思考が高すぎて英語表現に耐えられず出てこない。日本語→英語でいくのであれば、まずは簡単に簡単に日本語表現をしないといけなくて、その下げるステップが難しい。出てこないのは難しいことを考えているから。「1年留学した外国人に話すような日本語のレベル」をまずは意識してくださいと言われたが、ほんとうにそれ。

量質転化型のトレーニングなのでわかったことのひとつに、英語も繰り返していくと言いやすい略語になることがある。例えば t を発音せずに間があるかないか、can かcan not かはほとんど間で判断している。リエゾンとかリダクションはもともと言いやすいからそうなっているのであって、口は横着して自然とそれに近くなる。脳みそも楽しようと思って短期記憶の部屋にしまい込むみたいなことが起こったり、考えずとも疑問文のAre they ..?やAre her eyes blue?のような動詞の位置を間違えそうになる、疑問文でbe動詞がタブってしまうミス(なせかそうなってしまうということはあるあるなんだろう)は繰り返すことでら防げるのかもしれない。つまり圧倒的に簡単な文章を大量に詰め込むというトレーニングをいままでしてこなかった。基礎をたくさん。あたりまえだがやろうとするときつい。It is hard for me to speak English. This training is like a muscle training.

たかをくくる

RIZAP Englishをはじめた。1日3時間の自習が課せられている。はっきり言って無理だ。この時間を捻出することができない。と思いつつもほんとに無理かと。睡眠時間を削るという安易な発想をするのではなく、本当に必要なことに時間を使えているかの見直しに。やや強引に押し込んでいるのでどこかが押されて溢れてくるはずで、それがどこなのか。それが何なのか。当日のプレゼン資料ができていないときに朝シャワーを浴びながらだいたいの方向性を考えると研ぎ澄まされた解決策がみつかることがある。そのやり方に近い。なぜ前日に、なぜ3日前に、なぜ1ヶ月前にそれができないのかはさておき。英語に関しては、全世界の人が使っているのだから喋れないわけがない。運転免許と同じで、ほとんどの人ができているのだから、適切な訓練をすれば必ずできるはず。レベルの違いはあれ、ゆるゆると事故らない程度に走りだすことくらい誰だってできるとたかをくくっている。

ゆったり抜かすようにみえてそうではないという話

高速で走っているものどうしはゆったり追い抜くようにみえる。自分もその速度であればついていくことができるけど、止まっているひとからみるとゆったり見えているけどじつはめちゃくちゃ速いということがある。レベルの似通った人と会話は表面的にはとても穏やかにみえる。それは双方が同じくらいのレベルに達しているからで。同じように自分が会話できるかというと全くできない。表面的なスピードに惑わされてはいけない。穏やかにやりあっていることはある。自転車のロードで40キロオーバーで巡行しながら話されている会話は、必死でそのスピードを維持している人からするとなんでそんなに余裕なんだ!みたいなことがあり、彼らは周りが超スローにみえている。体感の時間速度はできるだけ高いレベルで維持し、さらに速くなるよう意識しておきたい。