なにそれ経営者のブログ

仕事と彼女と人生観

マーケットサイズと実際の売上

推定される市場規模などで原価計算してもあまりいみがないことがある。製造業で車の販売台数はたしかに部材メーカーは影響を受けるがきわめて間接的で実際の取引先が何を考えいくらで買ってくれるか、ミクロな交渉の世界。最終製品の市場と取引先の価格には差がある。あたりまえだけど、教科書的に計算しても実行力がないプランであり、赤字であるか黒字であるかは最終的に書いてがどう考えるかに依存することが多く、こちら側の勝手な推測はあまり意味がない。マネタイズポイントがみえにくくなっているビジネスモデルだからこそ、シンプルによいもの、相手が求めるものを提供するという商売の基本で値段は最後に決めればよい。

おもしろきこともなき世を

何が違うのか問題をいろいろな人に話していると、やはり合理的な意味は見出せず、ただし他人がそう思うのはもはや否定のしようがなく、そうであるならそうであれという心持ち。「おもしろきこともなき世を面白く、すみなしものは心なりけり」とはよく言ったもので、何かの意味づけをしようとすることで形にしていくのが人間社会。論理的に組み立てていくことでそこでまわる世界がある。突き詰めれば全てに意味などなく、意味づけをして意味を見出している。共通認識としての拘束力、イベントなどみんなで何かを成し遂げようとしたときに、社会的安定は必要で、昨日の延長で今日があり、それにより何か変わることはないけど、変わったと思うこともできる。いまだ答えはない。

代表戦

国家斉唱をする選手の表情がスクリーンに映し出されて心が動かされた。知らない国なのに。代表戦、ましてやワールドカップは特別なものであるのことがわかる。試合前なのに泣いている選手がいるという話は聞いたことはあったけど、たしかにライブでみるとそのときだけスタジアムに緊張感がはりつめ、静かになり、全員がお互いをリスペクトする独特の空気になる。言葉にすると、この試合に至るまでの厳しさからなのかもしれないが、なにより選手がなんとも言えない表情をしていて、涙が出た。

バンクシー

ギャラリーでバンクシーの作品をはじめてみた。シルクスクリーンで丁寧に仕上げられていた。いい感じににじんでいたり、ズレているのは明らかにコントロールされた偶然。テクニックだけで言えば、もしかしたら同じようにできる人はたくさんいるのかもしれないけど、シリアルナンバーつきでも、3百万〜4百万の値段が付いているのはなんなのか。バンクシーだ、もしくはバンクシーかなという前提で観たのでバイアスはかかっているが、それをクールだと感じるのは何が起因だろう。確実に細部の美しさや色使いとは別次元で技術を超えたところにある。逆に技法的なスキルは学習すれば磨かれるし、ぽいものは作れる。自分が気持ちいいと思っても誰かの影響を受けている。オリジナリティとは何か。

多様性

まずは受け入れる。そのうえで必要な解決策を考える。想定をうわまわったとしても自分のちっぽけな想定なだけで付き合わなければならないのであれば、どんなに相手に非があると感じたとしても怒りは無意味。こちら側の想定どおりにいかないのは自分のやり方に問題がある。解決するなら意思表示をすればよいが怒っても前には進まない。それが器のでかさ、人としての許容範囲なのかもしれない。身体的に障害がある、教育が不十分で知識として知らないだけなのかもしれず、それはその人個人の責任ではなくとりまく環境、歴史的背景、ひっくるめての現実。

講演のおもしろさ

つまらないと感じるときは表面的で新しさがない。知らなかったことや知っていても深い洞察が感じられるときは面白さを感じる。抽象度にも方向性があって、メンタリティ的なことはほとんどあたりまえのように共通項があるので聞き飽きている。圧倒的な経験値、言葉のチョイスやロジックの組み立て方。

対コスト的な考え方

ビジネスに必要な外向きのメンタリティに関して。行動すること、何かを作り出すこと、人と会って話をすることはコストがかかり、効率化が進んでいない。webページが簡単につくれるようになったいま、なにと交換するか。直線を機械的に引くことができたとしても、定規には構わないので、AIが表面をなぞってパクられたとしても深さや幅をもたせておけば違いを理解してもらうことはできるであろう。アウトプットに関してコピーができてくると、その背景情報、物語性やストーリーの価値が相対的に高まる。仮想通貨の価値を資本主義世界と接続したときに電気代との交換に行き着くように、代替しにくいものを考えると、やるべきことが決まっていく。