なにそれ経営者のブログ

仕事と彼女と人生観

やっぱり愛だぜって話

恒例の忘年会。一年に一回しか会わないけど一年に一回だからこそ毎年ばかな話ができて笑える。 毎年新しい発見があって、人としてほんとに大事なことに気づかされたりもする。日常だと圧倒的に仕事にかける時間が多いけど人生において、愛情とか友情に比べれば仕事なんて些細なことだと心の底から信じられる時間(しごとを軽くみるとかいうんじゃなく、仕事にかける強さはそれはそれであるけど愛は別よねって話)。まじプライスレス。なぜ愛とかぼんやりしたものを信じられたかと考えてみたらやっぱりみんなの心理的な距離感が異様に近いからだと思う。誰かにこみいったことが起こったときにあえて触れていじるということを普通にできる。普通に。悲しいことは悲しくないわけがなく、だからこそ同じように落ち込むのでもなく。逆に笑いに変えたり、間違っていると思うならなぜ間違っているかをちゃんと伝えたり。あたりまえだけど他人のことを自分のこととして。誰であっても普通に。ほんとになんにも気を使わなくて言いたいことを言いあえるのは地元の友達だけかもしれない。みんな性格がちがうからそもそもかみ合わないけど。けどうそがない。フラットで濁っていない。隠しようがないし、隠してもすぐバレる。それがおさななじみか。他人ごとだから、ほんとにそうなのかはわからないけどそうだと思いたくなるようなこともあるし、そうだと信じたいということもある。可能性があるのであればそれに賭け、できるかぎりのことをするとともに、だめだったこともあり得るからだめだったときどうするかも準備しておく。おれもそう思うな。最終的に決めるのは本人で、本人にしかわからない思いは絶対にあるけど、あいつならそう思うだろうなという感覚は失いたくない。たぶんそれが愛。

想定外を引き寄せる

ジャイアントキリングというサッカー漫画がおもしろい。達海監督は「まだおれの想定を超えていない。おれの想定を超えくるところにおもしろさがある」いうようなことをいくつものシーンでいう。でもその想定外は狙って作り出している。同点まではおれの仕事、ここから先は選手の勝ちたい気持ちにかかっている、というように。当然、勝つときも負けるときもある。勝利の女神という言葉がぴったりなのかもしれないけど、一発勝負には運もある。

イノベーションはすべてがサプライズだする考え方がある。自分の意識の外、知らないこと、見えていないことこそに価値が隠されている。それをいかに自分に引き寄せられるか。外にあることは信じるしかない。でもそこにあるということを強くイメージ、こうなるはずだというイメージはある。
達海と椿の共通点で、スカウトの笠野さんが強い敵のときこそわくわくできるところ、という性格をあげている。また、重要な試合のときこそ、「この試合を楽しめたやつが勝つ」ということも選手に伝えている。 戦術や作戦を綿密に組んだうえでの。最後は気合いや精神論めいたものに力点を置いているとこもすき。
キャプテンの村越や広報の有里は達海監督の考えを理解しようとがんばっているけど、達海監督がふざけているわけではないことを理解しているものの、監督の描くそれ以上に大きなビジョンや志には追いつけない。戦略とは「他人が意図せず自分の意図した方向性にもっていく仕掛け」かもしれない。当事者は戦略が仕組まれていることに全く気がつかず、なぜか勝った、なぜか嬉しい、ただそれだけ。勝ちたいという方向性は全員同じだけど、動かしている側しか戦略は知り得ないし、知る必要がない。結果がでればそれでよい。最前線でスポットライトをあびるやつ、裏方で戦っているやつを助けるやつ、その全体をコントロールして動かしているやつ。それぞれがそれぞれの役割を果たす。まさにチームビルディングでもある。単純に弱いやつらが強いやつらを倒すという以上に、いくつものエッセンスが注ぎ込まれた名著。

乳首でラジオ体操しませんか

新橋の客引きにそんなん言われ。なんたるパワーワード。思わずツッコミたくなる誘い文句。いろいろ気になる。ほんの数秒で人の心をわしづかみするテクニック。しかもちょびひげで誘い笑いしてくるという合わせ技。絶妙。まわりが「おっぱいどうですか〜」みたいな、もう…ありきたりなセリフで客引きをするなかで。同業者もあんなやつにおられたら商売あがったりじゃないか。逆にスカウトされんじゃないかと思うほどの。あきらかに洗練されていて。多くの道ゆく人で試して磨かれ、仕上がった感。シャープに研ぎ澄まされている。本質をついていて強いし短い。伝わるし刺さる。新橋レベル高い。乳首でラジオ体操て。どういうことやねん!

問題を問題としない

問題は、問題として顕在化させるべきときと問題としないほうがよいときがある。問題は解決されたら終わりではなく、ずっとそのことが頭に残っていて悪いイメージがついてしまうとなかなかそこから離れられない。たいした問題でないのに問題があると多くの関係者に共有されてしまうとそれがあとを引くことがある。実際に解決されたとしても過去のできごとは消すことができず、火種になりかねない。なのでなかったことにするのがよいこともある。ただし、ほんとに重要な問題が認識されなくなるのはそれはそれで問題なのでそのあたりのバランス感覚は難しい。

融ける

日本語は「わかるけどわからない」という表現ごある。でも意味は通じる。英語だとsympathyするけどempathyできないという状態か。英語は共感という概念を「ほんとにわかってんの?」と言わんばかりに明確に区別できるよう2つの単語が用意されている(ちなみにアダムスミスは他人への共感をsympathyと表現した。人間は生得的にかつ学習しながら他人の感情を想像することができるようになると)。
さて、日本語のわかるけどわからないは、もっとその中間みたいな感覚でもある。要するに割り切れない。数学では無理数みたいな数がきちんと定義されて、自然のなかに存在する永遠に続く数をうまく表現しているけど言葉ではそれをうまく表現しきれない。この曖昧としかいいようのない感覚。そのものに融けている感じ。自分でもあるし同時に他人でもある。違うものなのに同じもの。

empathy
the ability to understand other people’s feelingsand problems

sympathy
the feeling of being sorry for someone who is in a bad situation

 

天皇杯準決勝

セレッソヴィッセル関西ダービー。終わってみれば3対1。点差は開いたものの、互いにこの一戦にかける思いが伝わってくるいい試合だった。セレッソが攻め続け、ヴィッセルが耐えて耐えてのカウンター。戦術もハマっていたし、ハマっていたからこそゲームが動かず、シビれる展開。後半45分までスコアレスのドロー。最後に仕掛けたヴィッセルがようやく値千金のゴール…で終わるはずだった。が、直後のロスタイムに水沼選手のジャンピングボレーで同点。延長で最後まで走り切ったセレッソがPKで勝ち越し、後のないヴィッセルが前がかりになったところでとどめの一発。まさに絵に描いたような逆転劇。
セレッソは、監督含め、各選手がチーム力を強調していたが、ほんとにそうで、チーム得点王の杉本選手もいない。ボランチの蛍選手も怪我で欠く。エースの柿谷選手もベンチスタート、という状態。そんななか、今季最も成長したという23歳の秋山選手がキャプテンマークをまきゲームをつくった。メデイアでは決勝ゴールの柿谷選手などが取り上げられていたけど、この試合のMVPは秋山選手にあげたい。セレッソの生え抜き。監督の狙いもあったのかもしれない。若手のキャプテンをみんなで助けようと、キャプテンも期待に応えようと身体をはり、相当走った。明らかにチームとして団結していた。
決勝はマリノスマリノスセレッソにリーグ戦で2敗しており、かつ、ACLでも負けている。エリク・モンバエルツ監督の退任も決まっておりモチベーションも高い。良いゲームとレベルの高さや技術のウマさはそれほど関係がない。決勝の役者は揃った。泣ける試合を期待したい。

戦略を超える方法

どれかを選べと言われたらどれを選ぶか?

1:知らない
2:知っててやる
3:知ってるけどあえてやらない
4:知らないけどやる

個人的には4が好き。外からみれば1と3は変わらない。でも3のほうが戦略的で、取り得る選択肢が増えるという意味で強い。3は玄人好みかもしれない。見る人がみれば見ればわかるし、説得力もある。がしかし…サヴァイヴできるのは4と思う。実社会においては圧倒的に4が強い。スマートではない。たしかに頭の悪さでいげば1と変わらない(逆に頭悪いやつでも4はできる)。昔、とある起業家が「てか、いまやれよ」と言っていた。ほんとそう。そのスピード感とピュアさ。どんなにきれいな戦略を立てたところで(戦略はあったほうがいい)現実はストリートファイトでしかなく、強くないと生き残れない。4は3との相性が悪く。3の言うことはわからなくはないけど、おかしいだろと対立しがち。そして育ちがいいと3からブレイクスルーしない。安定的・保守的であるほど3が多い気がする。でも彼らはどんなに吠えようが、外からの評価は1なので、宝の持ち腐れなわけで。既定路線にのると、1→2→3の順に成長する。そして3で頭打ち。一方で、4はまったく別の次元で育っていって、猪突猛進感があり。たまにこういう人たちはいて、彼らは最初から既定路線は無視。人間的だし野性味にあふれている。見習いたい。