なにそれ経営者のブログ

仕事と彼女と人生観

大事なこと

社会人になる学生に贈る言葉として「違和感を忘れるな」がある。会社の偉い人たちや上司は、自分たちでは気がつかなくなっていて、あたりまえのように、新入社員に対して◯◯しろとか言ってくることがあるが、もしそこでちょっとでも「変だな」とか「なんでだろう」と思ったとすると、その感覚はおそらく正しい。でもそれを否定されてしまう環境に居続けると自分が間違っているように錯覚し、結果として矯正され、感覚が捻じ曲げられる。
現代芸術活動チーム「目」の中心メンバーで、荒神さんというアーティストがいる。荒神さんはめちゃくちゃ感性が豊かでメディアにもかなりでられているが、お母さんに「これはきっとあなたにとって大事なことになるから記憶に残しておきなさい」と教育された(*)ていう話。すごく好き。

「小学生の時には、5階の窓から外を眺めていて、『この空間には何かあるはずだ』と思い、トイレットペーパーを投げてみたことがあります。ヒラヒラとペーパーが波打って、『あっ、空間の形をつかまえた』というようなことを思ったことがあります。もちろん、先生に怒られて、親も呼び出されました。ただ、親は私の話を聞いて、『それは大事なことだから覚えておきなさい』と言ってくれました。」(**)

感覚は誰もが持っている。それを忘れないこと、自覚すること、表現すること、この3つがアーティスト…に限らず創造的な人に必要な条件に思う。とくにひとつめの忘れないことは、環境に左右される。ふたつめは、感覚を自覚して客観的につかまえること(例えば、よくわからないけどそれを求めている自分がいる、という状態は主観と客観の二人が自分のなかに同居している)。みっつめ。自分なりの方法で伝えること。人の感覚は伝えようとしてはじめて伝わる。感じている自分とそれを傍観している自分がいないと自覚はできないし、人にも伝えられない。でもそのベースにはまず感じることという感性があってこそ。

* 2013.3.28 wahと荒神明香から「目」へ
http://wah-document.com/blog/2013/03/wah荒神明香から「目」へ。/
** 2018.3.12 日経BizGate
人を突き動かす「不思議の力」のフシギ
現代芸術活動チーム「目」の南川憲二氏、荒神明香氏に聞く
http://bizgate.nikkei.co.jp/sp/article/158982021.html

エゴイスティックなことは必ずしも悪いことではない

ちょっと親しい人より全然親しくない人のほうが気楽だ。だいぶ親しくなれば、その先にまったくお互いに気を使わなくても心地よいという状態にできるが、関係をつくる過程ではどこを目指すのかによって態度を変えている。少しでもものにしたい、好きかもしれないという感情がはいると嫌われたくないという思いも芽生えて自分の気持ちにフタをしてしまうことがある。でも嫌われてもいい、こじれて解消されてもいい、みたいな関係であればいい意味で慎重にならない。素直に思い切ったことを言える。でも実際には変な小細工をするよりも、そういう刹那的な関係のほうが結果的には長期的に関係を続けられる。エゴイスティックなことを気兼ねなく言うのは相手を刺す行為だけど、刺してしまうくらいちゃんと考えているとも言えるわけで。たとえ悪いなと思っても素直でいるほうが信頼関係をつくるくことができる。

マリ戦

代表戦。コンビネーションが悪い。パスの出し手と受け手。チーム戦術に対する意思疎通。何があったのか。がむしゃらに勝たなくてはいけないというミッションから解放されて、一方で最終メンバー入りのアピールもしなければならない。たしかに難しい時期だが、にしてもチームとしても個人としても中途半端だった。試合直後、長谷部が同じようなことを言っていたと思う。監督もかなり不満な表情であることは読みとれた。
日本は個人で打開できるわけではないのでチームで戦うしかない。ハリルホジッチ監督はデュエルを強調しているらしいが、そのフェーズはもう過ぎてるんじゃないか。というより、局面で個が負けないというのはヨーロッパでプレーしている選手は日頃から意識しているはずでそこをあえて代表に呼んだ選手に言うことか。メディアの情報だけではどういう狙いかはわからないが、チームでパフォーマンスがよくても代表で発揮できないのはハリルの期待と選手の能力の乖離がある気がする。日本の攻め方はどうなっているのか。監督と意思はちゃんと伝わっているのか。
選手からすれば、固まったメンバーでもないので、そこでチームワークを最高のパフォーマンスをしようというメンタリティにもなりにくい。よくない外資系企業みたいだ。フィールドマネージメント執行役員の柴田さんの言葉(*)を思い出す。「『何をしたいのか』という軸で集まっていない人材は、組織に対するバインディング(結束力)がないから、自分にスキルがついてきたらステップアップしよう、という思想になる。」選手間で日本のサッカーはこうだという共通理解がない。少なくともわかりやすいかたちでサポーターには伝わっていない。懐古主義は嫌いだが、加茂周ゾーンプレストルシエフラット3など、チームの色が見えない。進みながらチームとして醸成していくべきだとは思うし、現代サッカーにおいて、瞬時に多くの判断をしなければならないことはわかるが、このままだとまた負けるな感が否定できない。
ポジティブな面は何より終了間際に得点したということ。3〜4人でサイドでうまく崩したシーンもあった。プラスに考えれば聞き飽きたセリフだが「課題が明確になった」。ワールドカップは一発勝負。少なくとも自分たちのやりたいことはこれだと統一して、それをちゃんとフィールドで表現してほしい。残された時間は少ない。

*)https://www.fastgrow.jp/articles/fmhr-06

 

縦の関係と横の関係

カウンターパートには認められるけど、直接プロジェクトに関わっていない人には認められない、ということはよくある。プロジェクトをあまり知らない人(カウンターパートの上司、株主、お客さんのお客さんなど)は結果だけみて評価するので内部の頑張りはほとんど伝わらない。そのため、内向けの資料と外向けのの資料はレベルを変えて作り込む必要がある。ここでいう内向けとはプロジェクトメンバーを意味している。なので外向けの資料は社内向けと社外向けのふたつがある。社外に発信するプレスは専門用語で正確に伝えるというより、やや不正確な表現だとしてもおおよそ雰囲気が伝わる表現を使うことが定着しているが、社内に対しても同じように伝わらない前提をもったほうがよい。
このように、当事者同士ではわかりきったことを再構成して「美しく」見せるという手間。一見無駄とも思えるこの作業は、予算を引っ張るために、つまり、プロジェクトを継続させるために必要なコストでもある。たいていは、予算を握っているひとと実行部隊が異なり、かつ、予算を握っているひとはプロジェクトオーナーではない。このコストをお客さんと仕事を受けた側のどちらがかぶるのか。社内の情報共有なのだから、勝手にやってくれよという思いももちろんあるけど、長期的に考えればおそらくそこへも踏み込んだほうがプラスと思う。パートナーとの関係とパートナーのボスとの関係。横の関係と縦の関係。お金はとりにくいけど縦の関係もマネージメントの一環。

理由でなく偶然

Wikipediaで「ヒト」を象徴する画像がタイの男女に決まるまでに5年にわたり数百ページの議論があったが、最終的には、ランダムにたまたま選ばれたものが採用されたらしい。反対派の意見として、白人はマイノリティだから違う、服を着ていると特徴がわかりにくい(地球外生命体にヒトを伝えるために使われた経緯もあり)、子供はヒトの特徴を表していないなどなど。タイのアカ族の写真が選ばれた理由はアルファベット順で最初にきたから。この写真は異議が出なかったと。
示唆的だ。理由付けをするとそうではない派がでたが、適当に選ばれたと言われるとだまる。答えがないものに対し、答えを探しにいくと深みにはまる。であるならば、答えはこれだと決めるか、理由なく選ぶかすれば、それを許容するマインドになる。例えば、男女関係でパートナーを選ぶときに誰でもいいという考え方はひとつの真理だと思うが、決められたことに対しては、やらないという選択肢はないのであとはやるだけ。決めることができないということが踏みとどませる最大の理由。ある人が結婚を決めた理由として「結婚したいわけじゃなかったけど、結婚しない理由ご見つからなかった」と言っていた。積極的選択でなく、消極的選択。それでもちゃんと自分の意志で決めることさえできればことはうまくいく。なぜこの人か。理由はない。というのははなはだ失礼ではあるけど、そのレベルで受け容れるほうが自然かもしれない。ほんとに嫌な人であれば拒むはずなので、受け入れてもよいという気持ちがどこかにあるのだと思う。

* Wikipediaで「ヒト」を象徴する画像が、タイの男女に決まるまで──5年の激論を経て選ばれた「1枚」の物語 https://t.co/aseWcOnPhW

あるがまま

超ダサい服を親に着せられてるのに子供が無邪気に喜んでてかわいいと感じるのは、いまこの瞬間にフルコミットしているからかもなぁ。子供にとって「もっとお金持ちの家ならこんな服が着れたのに…」みたいな発想は皆無。自分の努力次第で何かが変わる、変えられることを知らない。ただただ全てを受け入れている。仏教的に言えば無為。

ふぁーふぃーふぁふぃふぉー…だんだん

グレイテスト・ショーマン。いい。超よかった。社会にインパクトを残す人のマインドがつまっている。ベンチャー企業の成長をみているよう。カネを集め、客をつかみ、社会に抗う。たしかにグレイテスト。

The nobelest art is that of making others happy.
「最も崇高な芸術とは人を幸せにすることだ」
P.T.バーナム

人が光をあてなかったものに光を浴びせ、喜びを見出す。世間から排除されてきたひとたちを集め、誰もみたことのない世界を作り出す。銀行から相手にされず、ウルトラC的な方法でお金をかき集め、想像力さえあれば成功できることを示す。尖りまくって目立つほど、街の住民、上流階級などと世間のアンチが次々と出てきて、そこに真正面から立ち向かっていく。いかにも堅物そうな劇評家から「貴方のやっていることは偽物だ」と問われ「観客の笑顔も偽物か?」と問う。「最近腹を抱えて笑ったことがあるか?」と。自分のショーは上流階級に受け入れられないとみるや、そこを突破するため、上流階級の世界の成功者に「それでいいのか、心を解き放てと」口説き、仲間に巻き込む。バーナム自身も光に目がくらみ仲間をそして家族を裏切り、全てを失う。そこで原点を思い出し、大事なものは何かと。
いろいろな要素がつまりまくっていて元気になれる。二人の世界では生きられるけど社会では生きられない、上流と下流の差は愛では埋まらないというシーン。バーナムスキャンダルで違うんだと言うものの妻に出ていかれるシーン。全てを失って、アンチだった劇評家に、自分は嫌いだけど別の評論家がみれば「人間の祝祭だ」と評しただろうと認められるシーン。なかでもいちばん好きなのはストーリーうんぬんでなく、ふぁーふぃーふぁふぃふぉー…だんだん。の音に合わせてキレキレのダンスをするヒュージャックマン。ここはいきなりかっこいい。