なにそれ経営者のブログ

仕事と彼女と人生観

あたりまえにあたりまえを

あたりまえのことをあたりまえに主張すること。正当におかしいことはおかしいと言い、自分に非があるときは謝る。普通のことだけどそれを普通にできるかどうかで精神的な負担がずいぶんと減る。何かに怯えたり、何か違うなと思いながら言われるがままに進めたりするといい仕事はできない。あたりまえの基準は自分で見出すしかない。誰かに教えられるわけでもなく、経験値から培われる。いわゆる価値観、倫理観はその人の個性であり、周りの人たちの評価にもつながり、レベルの差が顕著にあらわれるところでもある。

関係性のなかで

パートナーはお互いの関係性でなりたつものだから自分がどうっていうのはそこまで考えなくてもいいことなのかもしれない。相手によって自分が変わる。演じ分けているわけではないけど、互いの関係性にしかコミュニケーションは存在しないから、相手ありきというのは当たり前ではあるけど。付き合う相手によって引き出されることは変わる。結構変わる。家族や恋人みたいな距離の近い人の影響はうける。子供ができたとたん、柔らかくなったり、本人は気がついていないけど影響はある。パートナーとの関係性で、それが心地よいときは、自然にいられるし、ちょっと努力が必要なときはある意味で成長させられている。自分のコンファタブルゾーンをどう考えるか。結局、たいていの人との関係は築くことはできる。であるなら、よい方向に向かえる人がよい。だれと付き合うかとそのかかわり方は自分で選べる。

繰り返しの意味

「同じ報告をいろんな人にするのは時間の無駄だから、一回で済ませよう」というメッセージを出したけどほんとにそうかと考え直している。重要なことはなんども繰り返したほうがよい。繰り返しすることは定着をはかるうえで効果はある。インスタントなメールを読み返したりするのは意味がないけど、スケジュールは毎日みていると、重要なイベントが自然と意識できるようになる。基本的には知っていることだから「え?そうだっけ。」ではなく「ああそうだよな」という確認だけど、知っているからといってみないでおくと記憶のなかで軽くなる。情報には重みがあって、重いとおもう情報を重さをもって受け止めておくことは大事なこと。スポーツでもベースとなる基礎練習は反復して身体に染み込ませたりする。繰り返すべきことは繰り返す。繰り返さなくてもよいと思っていたことに実はプラスαがついていて繰り返さなくなることでその部分まで落としてしまうことがある。効率化を進めるといままでの行動様式で無自覚にできていたことができなくなることがあってそれはどこに起因しているかを明確にしておくことで意外に発見がある。

無秩序の美しさ

Scary Beauty…開始5分ほどは、雑音というには乱暴すぎるけど、心地よい音楽でもなく、それでも、なぜかノイジーに感じない音が鳴り響いていて異様な光景を目の当たりにした。何かしらの規則性をもっていながら(セル・オートマトン的に変化させたアルゴリズムらしく)自律的に動いているところもあり、だからこそ無機質でも有機質でもない音たちがそこでうまれていたのだと思う。混乱、超越、カオス…いろいろと形容されるけど確かにそうとしか言いようがなくて、少なくともぼくには何が起きているのかがわからなかった。でも不思議なことに、ぼくはその音を、そのリズムを、感じることができた。わからないものに感動できるという経験はすごく不思議なことで、身体が反応するのを理性が追っかけていく。よくわからないけど涙がでたとか、感情においても理性にコントロールされていない意味での”本当の”感情がある。感動するのはそこに生命があるからかもしれない。池上先生は「複雑なメトロノームを作っても面白くない」とおっしゃっていた(****)。数式で表せれるものは想像を超えない。ゆらぎとかズレとかなにか違和感を組み込むことで機械が人間にぐっと近づくことがある。今回は「肩を上下させる動き」が息をしているようにみえることに気づいたことから、一気にオーケストラと指揮のコミュニケーションが進んだようだ(オーケストラにおいては指揮者の呼吸がとても重要らしい)。相手の呼吸は無意識のうちに合わせている。そういえば、宇多田ヒカルが曲づくりの過程で、本を読んで泣きまくっているけど、どこかでこの涙はどこからきているのかと客観的に探っている自分もいると言っていた。そこに触れることでうそのない感情をつかむ。それは自分の中にしかなく、できあがった歌を聞いてもらうしか説明のしようがないと(*)。池上先生は、鳥から飛行機を引いて残ったものに生命の自立性があるとおっしゃっている(**)。ちなみに今年の人工生命国際学会のテーマは「BEYOND AI」だそう(***)。膨大なデータ処理ができるようになり、システムの複雑さを犠牲にすることなく、モデルを理解することができる時代になった。そのなかで人工知能は人工生命の一側面でしかなく、科学者たちはむしろ生命のほうに関心が移っている。機械の体に生命はやどるのか。DNAがなくても生命はやどるのか。今回の実験的な試みは、人間の生命にかかわるような理解が及んでいない部分に「まだなにかある」ことを感じさせられるものだった。少なくとも感覚的にはうけとめている(ぼくたちがみつけにくく忘れやすい)ところにどうにか到達しようというチャレンジは本当に感情を動かされる。
* 2018.7.16 NHK プロフェッショナル仕事の流儀 宇多田ヒカルスペシャhttp://www.nhk.or.jp/professional/2018/0716/index.html
** 2018.7.21  bound baw「ALIFEは科学界のエレクトロファンクになるか?創造的進化とHIPHOP!池上高志×宇川直宏http://boundbaw.com/inter-scope/articles/18
「飛行機は鳥が空を飛べる構造を観察して発明された技術ですが、では飛行機を見て鳥が作れるかというとそうではない。その間には何があるのか、鳥から飛行機を引いたら、残っているものこそ、飛翔への欲望であり、生命の自律性である。その視点から新たな技術を発想することもできるとぼくは思うんです。技術の効率性や最適・最大化を求める中で、ぼくたちが見落としてきたものは必ずあって、その大部分はアートや音楽の中に回収されていると思います。」
*** ALIFE 2018(人工生命国際学会)
http://2018.alife.org/

***** Scary Beauty アフタートーク

http://www.fsight.jp/articles/-/44011

お金の稼ぎ方はひとそれぞれで

相手の論理でお金を払わざるを得ない状況につめてできるだけ多くのお金を回収するやり方は誠実なのか?取引は相対的なものだから、相手に寄せることはできるけど、こちら側の実態が薄いのにお金がオンされると実働においてひずみがうまれる。お金を集めるというフェーズで期待値を高めることはよいけど、実態がないのにあたかもあるようなふりをしたり、権力的な空虚なものに依拠してお金をつけたりするのはやはり誠実さにかける。お金がないとできないことがあるのでたくさん稼ぐことはとても健全だけど、その方法においては倫理観や価値観が色濃くでる。そんなぬるいこと言ってないでキャッシュイズキングだから貪欲に稼ぎにいけよというのはおっしゃるとおりではあるけど、信頼の積み重ねという意味で長期的には続かない。要は、正しいことをして正当な対価をいただく。ただそれだけのこと。

割り切れない思い

段取りをふめばできないと思っていたことに到達するときのなんとも言えない気持ち。同じ結果になるのならそれはいらなかったんじゃないかと思いがちだけど、振り返ればあたりまえにおもうこともその最中には判断材料がそろっていなくてプロセスをとばすことができないこともある。やられる側からすれば、(なんかうまく言いくるめられたような気がして)そうさせられたときは非常にやるせなくなるし。やる側からすれば、(結果が同じなんだから)そうであるならばそのプロセスはいらなかったんじゃと思ってしまう。ひとの心はデジタルにゼロからイチにきれいにきり変わるわけではないので、じょじょにとかじわじわとか気づいたらとかそういう気持ちのゆらぎはある。だから相応なプロセスは必要…なんだけどこのことに関してなかなか自分のなかで折り合いをつけ、納得感を得ることが難しい。

食事とお酒とベッドの好み

パートナーに共感を求める観点はいくつかあるが、食べ物の好み、お酒の好き嫌い、エッチの回数はけっこう重要なファクターじゃないだろうか。すごく美味しいものを食べて「おいしいよね〜」が伝わらなかったり、あんまりお酒が好きじゃないのに相手がめちゃくちゃ酒好きだったりすると(お酒が好きな人は一緒に飲みたがる傾向が強い)、ぜんぜん相手に悪気はないのにノリが悪いなぁと感じてしまうことがある。あとはやりたいときにやれなかったりすると、すごく求めてくる感じを負担に思ってしまったり、逆になんでしてくれないのとか思ってしまってちょっとしたすれ違いがうまれる。こればかりは、いくら相手が好みのタイプでも、そもそも好き嫌いなので相手に合わせることもできるけどおおよそ一致しているほうが心地よく過ごせる。