なにそれ経営者のブログ

仕事と彼女と人生観

フェアネスの考え方

これすごいわかる(*)。最近zoomばっかりだし、報酬も個人の状況で変えるのが自然。学生の千円と社会人の千円は異なる。同じ金額でも人によって重みが違う。生活コストが違うのだから、報酬は、仕事の成果×生活コスト、で決まるべき派。成果だけだと会社が一方的に与えている印象だが、社員がいて会社がある、会社があって社員がいる。持ちつ持たれつの関係なので、金額を決めるパラメータは双方のものを持ち寄るべき。コミュニケーションに近い。相手ありき。なにがフェアかという価値観の違いか。同じ仕事をすれば同じ報酬が与えられるという考え方と、同じ仕事をしても同じ生活レベルを保障するために必要な報酬が与えられるという考え方。生活レベルを下げたほうがたくさんもらえるじゃないかというモラルハザードが起きると考えるか、性善説でそんなバカなことをする奴はいないと考えるか。

* 2018.08.30 日経ビジネス
「オフィスと社員はもう要らない」
https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/interview/16/082900029/082900001/?n_cid=nbpnbo_calr

マーケットリサーチ

1)しかるべき情報にあたる、2)情報を組み立てる、リサーチして仮説をたてる系の仕事はこれに尽きるんじゃないだろうか。そもそもどこに情報があるかを探す。そしてその情報を入手したらその情報を組み立てる。後者は比較的簡単にできる。質の高い情報であれば、似たような結論が導かれる。メッセージはインプットの質による。なので、いかにしてしかるべき情報を探し出すか。世の中にないものであれば、とくに情報の切り取り方からしてセンスがでる。同じものをみていてもプロが感じ取る情報量は桁違い。市場調査そのものは市場の定義さえしてしまえば、情報源に行き着けば機械的に出せる。ただし、市場の定義を考えるところからはじめると、人によってそうとうな差がでる。答えがどこかにあるものに対して、近似値を出すという逆算型のリサーチはリサーチに過ぎない。答えがないものに対して答えを作りにいくのはリサーチ+プロポーザル。クライアントがプロポーザルを望んでいるのか、リサーチを望んでいるのか。もし前者であれば単なる知識レベルの違い。できることなら後者の仕事をしたい。

ストックベースな考え方

売上よりも利益率だ!てあたりまえだけど売上が伸びないと現金が増えなくなるから不安になる。赤字でも入って出たほうが損してるのに安心するっていう矛盾…ストックベースな考え方はどうもなじまないんだよなぁ。いまこれをするから将来につながるていう確信があるからやってるわけで、部分を切り取って赤字じゃんて指摘するのはナンセンス。赤字プロジェクトはあってはならない!てのはそのとおりなんだが、それをしないともっとキツくなる(かもしれない)ってことはある(はず)。ズバっといけないのはぬるいのか。因果関係なんてひとつの解釈に過ぎないし、将来のことは誰にもわからないのだから、いまの数字だけで判断するのもわからなくはない。決算ていう切れ目は必ずやってくるわけで、けどそのタイミングで整えるとか、なんか表面的で小手先なんだよなぁ。小手先でも動くから小手先をするわけでこっちがどうというより、評価する側も人間だからそれ込みの対応をするという考え方もできるけど、寄せにいくのはそれはそれで違う。優先順位を自分で決められる立場だからこそ、判断基準の妥当性がとても問われる。

嫌いを超える

パートナーの考え方、自分なかでの整理の仕方として、好きとだけつなげて考えるのは違うことに気がついた。あたりまえだけど「好き」という感情だけじゃない。好きだから付き合う、好きだから一緒にいたい、というロジックはあまりにピュア過ぎる。
好きだという感情がわからなかったころはわけもわからずどきどきしたり、あの子と話がしたいとか思っていたけど、自分でこれが好きだという感情だと理解して、はじめてああこれが恋なのかという認識をしてしまうとそこからの拡がりに制限をかけてしまうような気がする。初恋や大恋愛は、一度きりだしたしかにそういうイベントは感情的なエネルギーが大きいから、その経験をベースに考えてしまうとそれ以上のことは起きにくい。なのでだんだん恋愛しにくい体質になっていく。しかしながら、そもそも好きとか恋とかは自分の感情をおおきくくくってそう表現しているに過ぎず、きわめてあいまいな概念である。概念なのだ。くらべるというのはナンセンスで、いま自分がもっている関係、そこで感じている気持ちをまっすぐに受けとめてそれをどう解釈するかは変わっていく。体調によってさえそういう気持ちは日々変わるのだから、好きという概念だって縮小拡大をしたってよい。さらに、パートナーを決めるときには好きだけにとどまらない。「嫌いだけどなぜか気になって一緒にいたい」でも立派な理由だ。おそらく年齢を重ねると燃えるような感情よりもおだやかな感情から誰かと一緒にいたいという比重が高まる。仕事であれば好き嫌いを除いて、目的合理性があればパートナーシップを結ぶ。どうしたいかみたいにロジカルに考えてそのためにこういう人と一緒にいたいと結論づけるのは納得しやすいし、例えば結婚するとなれば、意思決定してしまえば早い。けど人間は矛盾を抱えている生き物で目的的ではないことに興味を覚えたりする。自分の興味に敏感に反応すればするほどひとりのパートナーに決めるということが難しくなっていたりもする。小山さんの「『嫌い』を越えようとするひともいます」というコメントが印象的(*)。


* 2018.8.20 BNL Arts 「初期の村上隆奈良美智を見いだしたギャラリスト小山登美夫が、アートギャラリーとの付き合い方をご案内」
https://bnl.media/2018/08/tomio-koyama-gallery.html

時間をかけるより集中力をあげる

集中力をあげることに費やすほうがだらだらとがんばるより意味があるかもしれない。朝の10分は夜の1時間くらいの感覚がある。夜は時間がたつだけでアウトプットがうみだされない。やらなくてはいけないことがあり、強制的に自分をその環境に置くことはできるけどそこから仕事が進むかはこれまた別の話で、それはそれで対策しなくてはいけない。だらだら1日に使える集中力に限りがあるとよく言われるが経験的にもそんな感じがする。集中力のキャパを高めるための方法を考えるべき。体力的に余裕があっても脳がオーバーヒートしてしまうとクールダウンしながらのろのろ運転しなくちゃいけない。普通に考えれば起きてからの時間の経過とともに下がっていき閾値を超えたらおわりだけどそれをなんとかリセットしたい。時間をかけることはだれだってできるが、ハイレベルな状態でキープし続けることはとても難しい。時間はないのだから、濃くしていくほかない。

逃げること

「『もっとも賢明な恋愛のしかたは、女から逃げることだ。』といったのはナポレオンだそうですが、ゲーテもまた、激しい情熱にたえがたくなり、このまま関係をつづけていれば自分のためにも恋人のためにもならないとみてとると、きわどいとこでのがれ、あやうく破滅の淵から浮かびあがるという、まさに忍者の術のような手を用いるのが得意であったようです。それは、冷酷に恋人を棄てる浮気男のやり方とは、似ているようで違います。恋人とともにわが身を滅ぼしてしまうほどの無分別にはなり切れなかったので、やむなく恋人がいる土地から『逃げ出す』ほかには、解決の道がなかったのです。つまり、それぐらい情の深い男であったわけで、そういう激しい体験から、あの輝かしい恋愛文学を、つぎつぎと生み出していったわけなのです。」(*)
あの三島由紀夫が激賞したという名著「快楽主義の哲学」の一説。この本はとくに第四章の「性的快楽の研究」が好きだけど、これは過去の賢人たちについて書かれた第五章の「快楽主義の巨人たち」。いちいちわかりやすく納得させられる。自分の経験と巨人をシンクロさせるのはナンセンスだけど、情が深いからこそやむなく逃げ出すという構図が(正当化しているだけかもしれないけど)刺さる。
ひとりの女性でコップがすべて満たされないことはわかっている。ところがコップに入っている量がゼロでも満たされない。だから女性を追いかけてしまう。そして満たされそうになったらまたコップを自らひっくり返してしまう。というようなことをここ数年繰り返していて。破滅するかもしれないというところまで追い詰められているわけのではないけど、やっぱりひとりの女性へのフルベットから「逃げて」いる。ナポレオンのような巨人がポジティブに逃げることだと言い切っていることにほっとしてしまった自分がいる。


* 澁澤龍彦「快楽主義の哲学」

値段はない

海外には5万くらいでカットするスタイリストもいるらしい。美容師さんと「カットは一律いくらみたいな設定は不自然だよね」という話で盛り上がる。個別取引が成立するし、お客さんは選べる。一万円でカラーもパーマもすべてお任せみたいな仕組みがあってもよい。コース料理でシェフのお任せコースはある。タダでも手術してあげたいというドクターもいる。払う側も支払い能力によってお金の重みは変わるはずだ。信頼関係があれば、それを担保に価格は適正にバランスする。する側もされる側も一定の基準にはめることは難しい。カットでいえば髪質や雰囲気は人それぞれ。プロはその人にあったスタイリングを毎回している。