なにそれ経営者のブログ

仕事と彼女と人生観

メディア論

メディアにのることはたいしたことなくて、自分でありながら自分ではない。メジャーなメディアであってもそのこと自体になんの価値はない。動かしてなんぼの世界なのでそれをみた人の心を動かしてはじめて機能する。実現したいことのための手段としてある。メディア側にもジャーナリズムがあって、その切り口で伝えたい側の思いと一致しないこともある。ただライブをするのではなくて編集が入るから取材された側はオンエアされるまでわからないこともある。自分たち自身がメディアになれば、他人の土俵にのっかって相撲を取らなくてもすむわけだけど、目立ってくると今度は逆にメディアのほうから取材の申し込みがくる。すべてをチェックできないのでそつやって虚像がつくられていく。

逆三角形

現場で結果を出してしまうと組織では偉くなってしまい、管理するほうに時間がとられ、その人が持っていたクリエイティブな時間が奪われる。管理するのはあの人だからということで求心力がますという不可抗力もあるが、結果を出し続けるには現場と向き合っていなければだめで、権限を分散させて、最終的な責任者だけをはっきりさせておく、できるだけフラット&リベラルな組織が望ましい。マネジメント能力は、マネジメントの専門性であって、現場で求められる能力と異なる部分がある。二階建てで現場の専門性+マネジメントは強いが、現場の専門性がなくてもマネジメントはできるということに気がついたほうが良い。盲目的に権限を持たせてしまうと現場がまわらなくなり、往々にして現場が好きな人は管理が好きじゃない人も多いので、逆三角形のようなイメージの組織がよい。

時間的な距離から醸し出される存在感

イチローの引退会見。その時間、東京ドームはすぐそばで、近くにスーパースターがいるのに自分は自分の時間で進んでいてのんべんだらりと過ごしていて、なんにも知らなくても世界は動いていて、自分がみえていないだけでチャンスは目の前にある。そんなことを突きつけられる思い。東京にきて夢を叶えるとかそういうのも確かに東京で起きていることは多いけど近くにいながら近くにはない。圧倒的に遠くにいる存在は、時間的な距離で遠く及ばず、物理的に近くにいながら遠いという感覚になる。その場にいて感じることもできるけど、メディアを通しても似たような感覚を立ち上げさせる。


会見はライブでみた。いまの自分には「やりたいことをやれ」というところが刺さった。先日の指原さんもだが、自分に真っ直ぐに向き合っている。ぼく自身がすべきことに縛られ迷っているのだろう。
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──子供の頃からの夢であるプロ野球選手になるという夢を叶えて、今、何を得たと思いますか。

 成功かどうかってよくわからないですよね。じゃあどこから成功で、そうじゃないのかって、まったく僕には判断できない。だから成功という言葉は嫌いなんですけど。

 メジャーリーグに挑戦するということは、大変な勇気だと思うんですけど、でも成功、ここではあえて成功と表現しますけど、成功すると思うからやってみたい。それができないと思うから行かないという判断基準では、後悔をうむだろうなと思います。できると思うから挑戦するのではなくて、やりたいと思えば挑戦すればいい。その時にどんな結果が出ようとも後悔はないと思うんですよね。

 じゃあ、自分なりの成功を勝ち取ったところで達成感があるのかというと、それは僕には疑問なので。基本的には、やりたいと思ったことをやっていきたいですよね。

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わからないということ

ぼくは保守的なのかもしれない。できない理由をできない理由だと意識せずに言ってしまっている。やってみて進むべきだと思いながら、気がつかないうちに先立つものがないとできないみたいな思考に。それが無意識に刷り込まれていることがこわい。わかったような気になることが一番良くなく。ロジックが通っていて「なぜこんなことを言うのだろう」と感じる発言はわからないまま飲み込んだほうがよい。抵抗感があってわからないけどこの人が言うことは正しいと判断できる基準は信頼とロジック。

成長

子供は物理的に大きくなるから目に見えて成長する。ご飯を食べて栄養になり大きくなる。成長するということはこのうえない喜びで。成長することは本能的に素晴らしいこと。大人は肉体的な成長はあまり見られないから成長することを忘れやすけど、大人だって毎日成長できる。成長するために必要なことをせねばという感覚は子供に対してだけではない。

自分に嘘をつかない

指原さんが「自分の気持ちに嘘をつきまくっていたけどそれをしなくなって楽になった」みたいなことをツイートしていて「しなければならない」から「したい」へのシフトだなぁと。この2つが一致していなかったとしても「したい」のほうが継続性があるし、消耗しないし、強い。社会的なポジションがある人ほどあるべき論にひっぱられがちだけど実はそうじゃなくてもやれる。実力があるから説得力は増すけど、よほど変なやつでない限り素直にしていたほうが人がついてくる。だめだなというところも茶目っ気として共感は得られるし、自分を出すことで人が離れるのだとするとたぶんその性格はだめなやつ。

おもしろいということ

友人がAIで曲を作ったからSpotifyに登録してくれと連絡があった。なんだろうこのワクワク感は。ごりごりのアイドルソングで笑ったけど一点の曇りもなく「おもしろいこと」をしていると感じた。自然に対して挑むスポーツの感覚に近い。仕事においてもこうした感覚を持つべきだし、真っ直ぐに向き合うためにもこの感覚を信じるべき。