なにそれ経営者のブログ

仕事と彼女と人生観

他人への干渉とありがた迷惑

親族だという理由で自分の価値観を押し付けてくる人たちは、いわゆる「ありがた迷惑」だ。自分ごとの範囲に、親は子供までを含んでいるから、迷惑をかけてはいけないだとか、親としての立場だとか、そういう自分の世界観で子供を自分ごとのように扱い、子供は「何言ってんだこいつは?」と反発。子供に自我がなく、素直にいうことを聞いていた年代を過ぎても、その延長で子供扱いすると、子供はどこからかそれが鬱陶しくなる。親子関係はいつまでたっても変えられないが、精神的には変えられる。精神的に突破しにくい(という突破する必要のない)状況が田舎には残っていて、子供が違う世界を見て人との違いを知り、合理的に判断できるようになるほど、親の考え方とのギャップは大きくなる。互助的に成り立っている村社会で自立した個人はフィットしない。

親族であるということを免罪符に、無根拠に信じて深く人に関与し、ありがた迷惑をしてくる人たちは積極的に布教活動をしている宗教家に近い。自分は信じた方が安定するのでそれを崩したくない。それが唯一無二のものとなれば、なぜそれをしないかがわからないといった間違った解釈から他人への干渉につながる。ぼくには他人は変えられないという考え方のほうがなじむ。他人に影響を与えることはできる(正確には、与えないことができない)が、その先にどう思うかまでは規定できない。あきらかに勘違いして自意識過剰で変えることができるとでも思っているのだろうか。日本に「ありがた迷惑」という言葉があることからも、このイシューに悩まされていた人々は一定数いることと思われる。