なにそれ経営者のブログ

仕事と彼女と人生観

仕事は金額ではない

1,000万円の仕事は想像できるけど、1億円の仕事はイメージがわかない…とか思ってたけど、金額なんて積み上げれば高くなる。たくさんのことをするだけ。仕事のイメージがわかないのではなくて、どれくらいやれば1億円になるかがわかっていなかった。10万と100万でも同じ。金額が高いからといって特別なことをするわけではない。仕事あたりの単価のほうが遥かに重要。単価が変わらないなら、金額がデカくても膨らんでるだけのこともあり、一概にいい仕事とは言えない。仕事には質がある。

やらないことを決める

打合せをしながら自分が発言しない時間に次の打合せの準備をしている。追い詰められてそうせざるを得ないのはかなり問題だけど、それができてしまうということは、逆に言えば出なくてもいい打ち合わせだったとも言える。追い詰められてはじめて捨てることができたけど、本来的には捨てるという判断は余裕があるときにこそしたほうがよく。死ぬ間際で大事なことがわかったみたいな。時間の有限性をひっぱくして感じることは難しい。同じ結果が得られるのなら低コストのほうがいいに決まっている。プロセスの美徳などいらない。裏口入学できるならしたい。思考実験で5分しかなかったら何をするかとシミュレーションしてみたり。標準的なものにかくれている惰性的なものは多い。

なければならない論

仕事にストレスを感じるのは、能動的にやりたくないことだからか。肉、女、酒、睡眠、運動、音楽…なんかは比較的無意識にちかいかたちで身体が求めているので、考えなくても勝手にできる。それが、やら「なければならない」みたいに縛られると。やりたいやりたくないに関係なく強制執行のような状況に追い込まれ、ストレスフルな状態になる。
人間どうしのやりとりでお金の受け渡しが発生するのは、誰かのために他の誰かが面倒な作業を引き受ける、その手間賃みたいな感覚があり、最初に契約でここまでやるからこれくらいよこせ(あるいは払う)みたいな取り決めをして、問答無用でその面倒な作業を押し付けている面もある。だとすると、引き受けた側は、契約で縛られているので、要はお金をもらうので、やら「なければならない」状態になり、やれなければ、契約変更するか、お金をもらわないか、となる。基本的には依頼する側が、やれないもしくはやりたくない仕事だから、それがお金という指標でその負荷が測られ、バランスされている。
片側にその能力がなくてできない場合には、引き受ける側は交渉する際には有利になるし、誰でもできるような場合には、引き受ける側は不利になる。しかしながら、誰でもできることであっても、みんなやりたくない、みたいな仕事は引き受けてくれる人が少ないので、多めに払う羽目になることもある。
やる側が「だったらお前がやれよ」と言えないのは、やら「なければならない」からであり、やらないのなら仕事は引き受けなければよいのであって、引き受けた以上、なんとかやりきるしかない。生活するためにはお金は必要で、仕事を選べる人であればやりたいことで稼げばよいが、選べない人も世の中にはいて、お金のために押し付けられたことをいやいやながらもやっている人たちにとっては仕事はストレスでしかない。仕事を発注する側が仕事としてやらせ「なければならない」ことなのか、というのはこれまた別の話。

信頼とは何か(続き)

「都市を生きぬくための狡知  タンザニアの零細商人マチンガの民族誌」を読んだ。商売は欲望と人間でまわっているということをありありと感じさせられる。著名な経営者の本なんかよりよほどためになる。実際に起きていることだから迫力がある。何度も読み返したい。以下、信頼に関してのメモ。本から引用。

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ウジャンジャに対する信頼とは、中間卸売商と小売商が互いの苦境や生き抜く必要に対して共感する力を持ち、他者の心を読み取り、賢く行為できることにある。ウジャンジャに対する信頼とは、次のようなものである。「友だちを信じるということは、彼が絶対に嘘をつかないとか、絶対に裏切らないとか、困ったことがあれば、絶対に助けてくれるはずだと信じることではない。そういう「絶対」と言うのは友達に一方的に期待していることであり、彼を信じていると言うことではない。友達を信じると言うことは、彼は困ったらこうするというのは他の人よりも自分が理解しているということだ。」…(略)…しかし、このような個別の人間の性格やウジャンジャな戦術に対応した「人格的信頼」が重視されているからといって、彼らができる限り他者の行為を許容すべきとする、寛容の精神で動いていると見るのは、間違いである。そのような寛容さは、この古着商売にとっては危険なものである。…(略)…「サイレンが見えなかったらダメだ。サイレンと言うのは心がなかったら見えない。相手がどんな人間かわかろうとしなかったら、この商売はやっていけない。カジャンジャはすぐにどこに住んでいるかを聞きたがる。でもそれは、知らなくてもいいことだ。彼らと渡り合っていくためには、心と信念がないとダメだ。ここ(市場)にはいろんな人間がいる。それぞれがいろいろなやり方を知っている。でも嘘がわかったからといって、「嘘でしょう」なんて簡単に言うんじゃない。どうして嘘をついたかを考えるんだ。サイレンが見えなかったら、また助けてはだめだ。カジャンジャも嘘を言えばいいからだ。でもサイレンが見えたら、損をしてもちゃんと助けるんだ。」…(略)…この言葉には、違いの適切な距離に基づいた関係性と、支援のバランスに対する並々ならぬ配慮がある。

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心がバランスしない

人を100%信じられるというやつほど信じられない。他人と自分の考え方が異なるのはあたりまえで、誰かの言うことを全面的に受け入れることは自己を全面的に否定していることであり、そんなことを続けていればどこかで爆発するに決まっている。なので、たいていは一定程度の距離感をもって付き合っていて、自分のなかで線引きをして、自分を守るために、許容でできるところは受け容れ、そうでないところは流している。つまり、流していないという奴は嘘つきだから信用できない。
ビジネスでは当然のことながら、利害関係のあるプレーヤーが対峙し、闘っているわけだから、win-winというきれいごとは側面的な解釈に過ぎず、部分的最適解に過ぎない。例えば戦略的提携というかたちは、ある部分だけの協力関係でそれ以外は譲れないという典型かと。最大限の譲歩ラインは誰にでもあり、それを無視して度を越した要求をしてくる相手、情に訴えかけて押してくる相手は、とてもやっかいで手に負えなくなる。契約でラインを引くか感覚的な相互理解とするかはさておき、結局は、やることとやらないことをうまく線引きをするというのが、事業そのもので、日々の仕事なのかもしれない。
世の中には、騙し合いとまでは言わないが、そういう環境に身を置いて平気なタイプとそうでないタイプがいる。メンタリティの向き不向きはある。平然と自己利益の最大化をやってのけるやつは強く、良心の呵責に耐えきれず、譲歩してしまうやつは、足元をすくわれる。相手から奪うことに対して鈍感になれるか、自分が正しいと信じきって自分に寄せられるか。そこはシビアにでる。個人的にはいわゆる「仕事がデキる」と言われる人ほど厄介で面倒くさくて、友達としては付き合いたくないタイプであるように思える。外から見ている分にはいいが、近付けば近付くほど自分が侵食され、ストレスがかかる。
ところで「本音は違う」とかいう表現をすることがあるが、本音とは何なのか。突き詰めると、じつは自分でもよくわかってないないことではないだろうか。言葉にしたり、思考することと実践することは違う。どう思っていようが、起こったことは確かであり、その解釈はそれぞれ。ある人はその行動のウラにはこういう考えがある、と解釈するし、また別の人はその行動をさせたのは自分の根回しだと信じている。そして本人でさえそれに気づいていない。それでもうまくまわっているのが社会だとすれば、交渉に費やす労力や時間は非効率なのに、なぜなくならないのか。実践は感覚的である。

意思決定とガバナンス(続き)

社長は、顧客、従業員、経営者(役員)、株主の幸福量が最大になるように経営すべきだと思う。顧客や従業員が少ないうちは、社長の独断で会社だけがハッピーになるよう意思決定しても全体としての幸福量は保たれるかもしれないが、顧客や従業員が多くなるにつれ、売上は確保しても、周りのステークホルダーの不満をカバーしきれなくなり、全体の幸福量が落ちる、という局面がでてくる。一時的な不満であれば、利益がでれば解消することもあるが、慢性的に不満を抱えると組織の崩壊につながるリスクが高まる。小さな不満が日々の業務に影響し、積み重なってお金に響く。社内の雰囲気は誰もが感じ取るもので、その影響は無視できない。金銭的な意味だけでなく心理的な投資も、回収できないとマイナス方向に回転する。

人に頼るという行為は組織としての自律性を損なうし、外部の責任をとらない人間に主導権を握られるというリスクがある。恩は買わないほうがよい。小さな組織では、自分たちだけではどうしようもないのは事実。でもできるだけ自由の身でいないと会社の根幹を揺さぶられる。

「マネーの拳」はおもしろかった。ケンの名ゼリフ。

「商売の世界には道理があり、感情を優先すれば理屈が曲がり、理屈が曲がれば道から外れる。そんな商売は必ず失敗する。俺は人を幸福にするために商売している。」

「人の心という利息ほど高いものはねえ」

「自由を差し出したら二度と戻ってこねぇ」

このほかにもたくさんあるけど、ぼく個人としてはケンの資質に掴まれた。常に相手の思考を先回りして準備していること。本音と建前を切り替えるタイミングが交渉相手より早いこと。ボクシングのようにリングの上で正々堂々と闘うこと。正面突破。自分以外は信用していないこと。自分だけを信じているやつと組むこと。会社として外部に頼らない路線を貫いていること。お互いの思惑が違うのは見抜いたうえで、使えるところを使っていること。すぐに壊れる信頼や信用でつなぎとめていないこと。流動的な人間関係を前提としていること。会社という箱は、たくさんの異分子を包含しながら成り立たせなくてはいけないものだとつくづく感じた。ストーリー的には、個人の感情だけで動いていたあの井川さんが、商売の本質みたいなものを自分なりに見出して、決断したところがハイライト。

「あんたサルには一生敵わないわね」

補足)「回りくどい話はやめようぜ。あんたウチの会社を買収したいんだろ?」こんな交渉に憧れる…

自分に嘘をつかない強さ

人間は本心と言動がズレるとなにかしら不具合が起きるよう設計されているのかもしれない。交渉ごとはほんとうに胆力が試される。たいていの交渉はどちらも正しい主張だからそこにどう折り合いをつけるか。結論がゼロイチだとすると粘ることの意味はなにか。どこにこだわっているのか。少なくとも金ではない。金は単なる要素で手段。最後は結局思いの強さ。自分はあるいは会社として何がやりたいのか…これに尽きる。