なにそれ経営者のブログ

仕事と彼女と人生観

姿勢がいい

その業界のレジェンドと呼ばれる人は現役ではないので、過去の業績だけで尊敬することはあまりない。にもかかわらず、素晴らしいと思うときもあり、その条件は2つある。

ひとつは、ありがとうを言える人。直接関わりのない人間もちゃんとみてくれて、誰に対しても平等に振る舞い「ありがとう」と感謝の意を直接伝える。これだけで人格者だと思わせる。医者の評価は看護師が決めるというように、秘書や身内だけなく事務方としてかかわった人にも好かれる人はなにかもっている。あたりまえのことだけどポジションがあがったり評価があがったりすると自分に尽くしてくれる人への感謝のセンサーが鈍くなるひともいる。

それから立ち振る舞い。姿勢がいいとそれだけですばらしいひとだなと思わせる。何がそう感じさせるかはわからないけど、スピーチのときに背筋がぴんと伸びていてまっすぐにみている。見られているということを意識せずとも日ごろからそういう姿勢でいるのだろうか。とにかく話の中身より姿勢がとても印象に残っている。

評価はよほどのことがない限りカウンターパートを越えない

報告は事後的なものでなんのためにやるのかと思うことも多いけど、そのひとつの解は次のお金をつくるためでもある。正しいことをすれば正当な評価を得られるというのは、傲慢で。いいものをつくれば勝手に売れるというのに近い。こちらから働きかけないと動き出すことはない。そこまでやらなきゃいけないかと、評価をする側のことを意識するくらいがちょうどよい。よほどのことがない限り評価はカウンターパートを越えない。報告は正当な評価を得るために必要。なぜなら、たいていのひとは目の前の関心ごと、自分に直接的に関係することにしか興味がない。関心ごとは責任と権限によって決められ、それも誰から与えられたものに過ぎない。上司にいかにアピールするかは、無駄に思えるけど評判を広めて高めるためには必要な仕事ともいえる。

ない状態で最適化された世界である状態にどう変えていくか

すでに構築されたシステムのなかで現実は最適化されている。そこに新しいものを持ち込んで「いまよりよくなりますよ」といったところでない状態でできていたのだから、新しいものを取り込もうとするインセンティブははたらかない。たいてい(とくに仕事を流してやっているような人たちは)現状維持の抵抗力は強い。たしかによくなるかもしれないけどやろうとすることは過剰なサービスで押し売りになる。現状の延長線にあればまだ理解はされるかもしれないが、別の路線に乗り換えてくれとなるとますます障壁が高い。
一方で、ある状態を普通にしてしまえば、ないことをすっかり忘れてしまうので使い続けてもらえる。ある前提でものごとを考えるので、ないと文句を言われるような状況にすらなる。顧客はほんとに身勝手だ。ないと気にならないのにあると思われていると期待して文句をいう。例えば、空港にビジネスマンのためにコピー機を置いておけば使う人はいるかもしれないけど、故障したときそれを期待して重要な書類を印刷しようとしていたひととトラブルになる可能性はある。彼女がいればいたでむかつくことはあるけど、いないとそもそも期待しないので平穏に日常が過ぎていく。

どの状態を自分の平均値にするか。だったらやんなきゃいいというのと、だとしてもやりたいのせめぎあい。だめかもしれないけどやってみるという精神性。振れ幅をどうとらえるか。

戦略は必要ないけど必要ある

ドキュメンテーションは、生産的ではないと思っていたけど、自分の考えの整理と他人への共有のためには意味があるかもしれない。動けばそれでいいという考え方もある一方で、学習する組織ではないけど、動かした経験値を1人にとどめておくのはあまりにもったいない。他人をうまく巻き込んだほうが動かしやすくなるということもある。自分のなかでは当たり前だと思っていることを他人にも理解してもらうためには、言語化して説明できないといけない。中小企業は実行力がすべてなので、何十年と続いている企業もなぜできてきたのかわからないけど当たり前にできているということが多い。いざ話を聞いてみると社長でさえ答えられないこともある。自社製品で20年間販売している製品の変遷をはじめて振り返ったけどめちゃくちゃ学ぶことかあると言っていたりする。逆に言えばいちいち振り返らなくても前には進めるわけで走っている最中にはそんな余裕すらなかったのかもしれない。きれいな戦略はないまま目の前の課題を1つ1つ乗り越えて持続してきた歴史。
まわりを動かして実行するためには、お金が必要でそのために事業戦略を描いてピッチしてお金を集め。いわゆるスタートアップの人たちはそういう能力に最初からたけていてプロダクトがないのに大きなお金を引っ張ることができる。しかしながら個人的に最も重要なのは手触り感や人の温度感だと思うわけで(池井戸潤的世界観)、ベテランの中小企業の経営者たちが少し距離を置いてみているのはそんなことしなくても結果を出してきた実績と経験があるからかもしれない。「それぐらいできないとお金は払われない」vs 「そんなことしなくても結果は出せたという実績」。この構造。自分はどちらかと言えばベンチャーに属するけどもマインド的には老舗中小的で「実績がないくせにそんなことしなくてもいい」派。人間の暖かみを大事にしたい。

 

ブラジルの真価

ハリルホジッチの「後半だけみれば負けてない」ってコメントは負け惜しみには聞こえなかったし内容は点差ほど離れてなかったようにも思う。大迫にしろ槙野にしろ乾にしろ杉本にしろ(酒井はネイマールがうま過ぎるせいでいなされてたけど)随所のワンプレーで勝っていたところはあって、決してひるむことなく各々が今の実力でどこまで通用するかみたいなのを楽しんでいたようにもみえた。日本の選手もボールの扱いはうまかった。でもそれ以上にブラジルの選手のほうがうまかった。うまさの差は素人でもわかる。技術的に優れているというよりむしろボールの持ち方、パスを出すタイミング、スピード…どれをとってもリズミカル。ボールをとりにいったり身体をぶつけたりするところをするりとかわされる。ファールする気はないのに止めようとすると笛を吹かれる歯がゆさ。マルセロなんてそうとうフィジカル強いくせにしなやかでいい感じに力が抜けていた。

ブラジルはアジリティーとかスピードとかそういう要素的な分析からは出てこないイメージをみんなもっていて、ゲームの中で作り出される瞬間的な状況において、ベストなプレーを意識せずともできているかのような。動物的。ボールを止めるとか蹴るとか個人技を切り出してトレーニングするだけでは決して身につかないであろうセンス。サッカーが文化として、生活の一部としてなじんでいるからこそ醸し出される美しさなのか。チッチ監督は潜在的に持っている個人のイメージをチームの規律にうまく馴染ませる天才かもしれない。確かに今回のブラジルチームは強い。バルサのサッカーかと思った。
現代サッカーは狭いスペースで激しく攻防してとにかく速い。攻守の交代も目まぐるしい。日本のパススピードもダイレクトプレーの連動もブラジルにつられていつもより速かった。世界のレベルはそれぞれの選手はリーグ戦から肌で感じている。あとは代表に戻ったときチームとしてどう勝つか。代表の監督が描くゲームプランをどう実行するか。日本チームもセットプレーだけではなくて流れのなかでの輝きを期待したい。日本特有のやり方で。

追伸)長友選手、試合後のツイートから。選手からみた感覚の違い。とても興味深い。

「やれ!とやらされてきた身体と思考、サッカーを遊び感覚で楽しんできた身体と思考では積み重ねると大きな違いがでる。ブラジル代表の選手はゴツいんだけど、身体グニャグニャで躍動感がある。日本の選手とは特に上半身の動きが違う。足だけで踏ん張って動く身体、上半身と連動して動く身体。差は歴然」

「マルセロ別次元やった。イニエスタサイドバックしてるみたいな感じ。チームとしてプレッシャーいけてると思っても、簡単に剥がされる。涼しい顔して。学ばされるなー。」

マクロ経済感

2020年まではほんとうに人が足りなくて新卒の争奪戦だ、まるで採用活動がバブル期のようといった話を聞いたけど、仕事が回らないくらい受注があるのだろうか。売上が伸びている、利益が出ているという実感がない。お金は循環すればするほどハッピーな人が増えるはずなので、どんどん雇用を増やすべきとは思うものの、現場感覚の忙しさと景気改善の実感がともなわない。いったいこの仕事は誰から発注されているのだろうか。そしてその仕事は誰かの役にたっているのだろうか。
「人がいないけど仕事はある」というのは生産性が一定だとすると労働人口が減っているという意味で少子高齢化の進行ともいえる。仕事を減らすかひとりあたりの生産性をあげるかしかないわけで。
冒頭の会話は、人手不足に備えた先行投資というより即戦力がほしいという文脈だったので、まさに各企業が現在進行形でこの問いを突きつけられている。年収が相対的に高くない人たちが既存のフレームにはめられて搾取されて消耗するのは世の中にとってよくない。雇用者側が人を奪い合っているようでは先延ばしにしているだけで人不足の問題は解決しない。

体験記憶

サッカーのゲーム中の感覚がふと思い出された。ボランチ固有の感覚。サッカーでしか味わえない感覚。ボールをきれいにとばしてぴたりと合わせる気持ち良さ。たぶんロングボールでサイドハーフに展開したシーン。高校か中学か。土のグランド。すべてのタイミングがぴたりとハマってミートしたときの感覚。全員がひとつのボールに連動して動いている。みえていない選手もどこにいるかだいたいわかる。ほかのスポーツの気持ちよさと違う。サッカーのワンシーン。単純に記憶を思い出したというだけでなく、自分がやっていた体験が再生された感じ。完全なる主観。その試合に勝ったのか負けたのかはどうでもよくてとにかくそのパスが絶妙な感じでとおったというだけ。たくさんのことを経験して重なっていくので、いちいちぜんぶを覚えておけないから忘れさられるけど、でもあの感覚は唯一無二で、なぜいまいきなりよみがえったのか。たぶんもうないと思い込んでいるあの感覚を無意識のうちに欲しているのか。センスと言われているイメージは個人差があるのでいまできなくてもそれをできる技術が身につけばできるようになる。センスがないと技術があってもいいプレーはできない。いま上手いか下手かではなくてそのセンスを持ち続けられるかというのは大事なことかもしれない。ジュニアユースの子たちがやろうとしていること、チャレンジしていることのほうが結果よりも大事でどんなことをしたいと思っているかというのは後に大きく影響する。フィジカルのピークは過ぎていまはできないけど感覚が残っている選手もやっぱり監督でなくフィールドとしている意味はあるような気がする。そこで何を考えどうしようと思っているのかを伝えられれば若手のセンスはみがかれる。