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消化試合

消化試合という言葉がある。ゲームの勝ち負けはもうわかっていてただ試合をしたという事実をつくるだけのためのもの。はたしてそれに意味はあるのか。意味はある。ルールに従って行われたという意味。敬遠は宣告すれば4回投げなくともフォアボールにできるという特別ルールができた。これも塁に出すとわかりきっていながら、ルールだからということで4回ボールをわざと投げるの意味ないよねとみんなが同意してできた新ルールだ。すごくよい。無駄なことはやめようの精神。ボールは投げなくていいけど試合はこなさなくちゃいけない理由はどこにあるのか。観客はどんなにつまらない試合だったかわかる。でも客観的な数字だけみれば試合が行われて勝ち負けがついた。ただそれだけ。確かにそれでも試合は試合なのでおもしろいと感じる観客もいるかもしれない。でももし全力を尽くして勝ち負けを決めるということがスポーツマンシップで紳士協定として認められるならば、消化試合は協定違反だと思う。
ゲームがあってルールがある。ルールを守ることが目的になるととたんにつまらなくなる。税務調査や会計検査は厳密にルールに基づいて違反していないかが問われる。基準が明確であればそこには感情は入らない。悪法も法である。悪法だからといって守らなくていいとなると法そのものの信頼性が損なわれる。仮想通貨の価格にバブルはない。すべて合理的に決まっており、価格はロジックで決まり極めてクリアだ。ルールに違反していれば追徴が課される。違反は次回に繰り返さないよう原因を特定し再発防止につなげる。ここまでやれば意味はあるが、既成事実を作るためだけに調査や検査を実施するというスタンスだとやる意味はない。知らなかったという理由で違反してしまうこともある。あとから発覚したとしてもストレスにならないよう精神的に追い込まれないよう戻せるプロセスを整備しておくべき。消化試合的な本末転倒な形式は生産的ではないので、できるだけ避けたいしやりたくない。