なにそれ経営者のブログ

仕事と彼女と人生観

意思決定疲れ

すでに世界にルールがあると反発したくなって自由に決められるほうにいきがちだけど、不自由なルールだからそう思うのであって素晴らしいルールだとすれば意思決定しなくて済むからルールに縛られたくなるという不思議。ルールは意思決定の省略であり思考プロセスのスキップでもある。

ルールに助けられる

その人が辞めたとしても仕事は続くわけで、本人でその引き際を決めるしかなく、そのために決まりやルールなどがあればそれを理由に辞めることができる。例えば、定年制度は65歳などだが、64歳だろうが66歳だろうがそれほど違いはないわけで、それでも65歳になったら辞めるというのは、ルールを使って辞めるという口実を使えることに意味がある。有望な先輩ほど会社としては継続してほしいし、リソースや経験のないベンチャー企業は、頼ってしまい、つなぎとめてしまいがち。だけど、いつまでもこの状態を続けるわけにはいかず、結局、気持ちよく引き際をつくるというのは下の役割ではないだろうか。「歳を重ねるとボケたりしてきて、自分の意図しないところで何かあったとき、やらなきゃよかったなと思いたくない」とおっしゃっていた。理由なんてなんでもよく、平成が終わるタイミングで、とかそういった「ぽい」理由づけがじつは後押ししたりする。

先んずれば人を制す

社会で求められていること、必要なことは必ず起こる。起こるというより、誰かが気がつき、いつか実行される。その時期が早いか遅いかだけ。なので、起こるべき未来に確信があれば、それをいかに先行してできるか。誰よりも早く実行するか。すでにできている仕組みにのると、前例があって比較される。先行者を超えなければならないし、ノウハウがないのに高いハードルを超えなければならなくなる。ということからも、先に行うことの重要性は言わずもがな。逆に、先に実行することができれば、まねされても次のステージにいくことができる。大手は必ず追従してくる。そしてその市場をとりにくる。ベンチャーが大手に勝つには、個人技で突破するか、大手が使えないリソースを使うかなど。発想できても必要な主体とのネットワークとノウハウ、リソースがないと実現できない。でも、やがて求められていることは浸透してきて、それらしい社会の仕組みができあがる。それをいち早く感じ取って、またゲームを組み替えられるか。この繰り返し。何か始まっているなという予兆みたいなものは発想する人のもとへしか最初は情報が集まらないし、乗り遅れると勝ち目はない。昔からやられている取り組みであっても、改善の余地はじつはまだまだあって、よく考えられていないこともある。どこに目をつけるか。例えば、日本の製造業の強さは技術の高さでなくじつは信頼性にあると考えてみる。技術の勝負をすると高度な戦いを強いられて、疲弊してくるけど、視点をずらして、信頼に着目すれば、違う攻め方ができるかもしれない。これまでの取り組み。何か始まってるなという感覚。危機意識。閉塞感の突破。社会と同じ感覚を持ち合わせながら、パズルのピースを組み合わせ、未来をイメージさせる。まだだれもやっていないことであれば試行的にできるので、パートナーとしてともにつくりあげられる。その道のプロがいるのであれば、別のゲームに変えるしかない。地域は資源に恵まれているわけではないので、革新的なアイデアがうまれる素地がある。

真実の瞬間

友人が東京駅丸の内付近でiPhoneをなくして結構探したけどみつからない。「iPhoneを探す」(*)でおおよその場所は特定できたもののGPSのまさにその場所にいるのに…はがゆい。GPSのさす場所の地上や地下にいって「サウンドを再生」機能でアラートっぽい音をならしてみるも聞こえず。特に構想ビルの合間のGPSは不正確ではあるものの、現地でべつのiPhoneGPSがその場所を指しているからそこまでくるっていることは考えにくい。もちろん、広めに円の範囲まで広げて周辺を捜索するも見つけ出せず。しかしiPhoneの機能は素晴らしい。なくしたときに必要な機能は整っている。
丸ビル、新丸ビルなど付近のビルにある防災センター、交番、東京メトロ、JRのお忘れ物センターに聞いてみたが届いていない。状況的には金曜夜に紛失し、土曜夜日曜午前と「iPhoneを探す」の電波を発信しているのでおそらく地下のどこかに定置されている。東京メトロやJRで預かった場合は、電源をきるルールらしく(GPS機能が使えなくなるのでそれもやめてほしいけども)疑うわけではないけどたしかにメジャーなお忘れ物センターにはほんとに届いていない可能性は高い。だとすると、店舗か?としてもおおよそ取得物は防災センターに届けられるという。東京駅構内はかなり綺麗だしiPhoneという目立つものが落ちていれば拾われている可能性も高いし、また、人が悪意をもって持っているのであれば、電源切っちゃえばいいし、善意があれば紛失モードにしたから電話をかけてくるはず。そしてGPSがほぼ同じ位置を示していて動かないてところも謎。
複数の窓口に問い合わせてみて、いろんな人がいるなぁと。単純に問題解決に向けて動いてくれる人とただただ自分の仕事じゃないという雰囲気で「ないですね、わかりません」と調べもせずに言ってくる人。たしかに自分の仕事じゃないかもれないし、1日に何件も似たような問い合わせがあるだろうから事務的になりやすいけど、目の前の困っている人の気持ちに寄り添える人とそうでない人。現場には組織の実態が顕著にあらわれるとおもう。組織的に「真実の瞬間」はほんとに大切にした方が良い。マジででる。JRの東京駅八重洲口はクソだった。東京駅という日本の窓口でこのレベルかと疑うレベル。ものわかりの悪いおじさんがなにもせずできませんの一点張りでデータベースがあるのだから検索すらしてくれないのかとキレかかると別の人がでてきてようやく検索してくれ…逆に防災センターのアルソックは最高だった。付近の協力機関で可能性のありそうなところに率先して電話してくれたり、東京駅地下の業務分担などを教えてくれたり、東京駅じゃなくて大手町はどうかと一緒に探してくれた。GPSの精度を画期的に向上させる衛生システム「みちびき」(**)が運用されていれば数センチの誤差なのに…と豆知識もちょちちょいはさんでこられほっこりした。結局現時点ではみつかっていないのだけど、災害地にいって全力を尽くすも救えないという無力さに近い。そこにあるのに結果を出せないというやるせなさ。ぜんぜん状況が違うから例えるのはおこがましいけど、災害救助の方々の感情の振れ幅をなんとなく体験したような気がする。人間はストレスがかかったときに本性がでる。

*iPhoneを探す

https://www.apple.com/jp/icloud/find-my-iphone/

** 準天頂システム「みちびき」

http://qzss.go.jp/index.html

 

 

事業継承問題

なかなかなまなましいことが書かれていた(*)。大企業の勤め人向けに中小企業の実態を説いている。中小企業は適当なマネジメントでも経営が成り立っていてじつは大企業のみなさんが普通にやってきた知識を活かして組織改革すればバリューアップできまっせと。不覚にもすごい感情を揺さぶられた。「それでも中小企業は回っている」がハイライト。退職金や年金所得だけじゃ生活できない大企業ベテラン層と後継社長不足に悩む老舗中小企業をバチッとはめて、だから買いですっていう…たしかに中小企業の事業継承が進まない問題は日本全体で起きていてそれをチャンスと捉えるひとたちは多い。個人レベルのMA情報のサイト(**)も充実しつつある。非上場会社の時価総額なんてあってないようなもので、売り手と買い手の差しの交渉でズバッと決まることもある。
肝心のどんな会社をいくらでって手法はLBOMBOなどファイナンスを駆使しながら投資家の観点で書かれてたから簡単そうで大企業の単なる勤め人にはけっこうハードル高いていう罠。笑。タイトルは完全に釣りで本文には「純資産ゼロで売上1億、営業利益が100万円の会社は300万円〜500万円で会社が買えます」とあって、まあそうだけど、粗利が低すぎる。買収ふることで個人の報酬は確保できるかもしれないけどなかなかこの事業をやれと言われても自分はやりたくない。
権限は強制力だから、口約束で任せるよとか言われて現場がぜんぜんついてこないときに、法的に自分の思うように進められる力がある。という点では株主になる意味はある。けれども雇用される側は株主だろうが社長だろうが「知らんがな!」なので人をみてあるなし決めてるから、実務的にやることは変わらない。結局人。コンフリクトしたときに株主は勝てるという一点のみ。株主になることは手段でしかない。しかも第三者の資本を入れていない中小ベンチャーは、ほとんど株主総会なんて機能していないのだから、なおさら名目と実質の心理的乖離は大きい。本文中にもPMI(PostMergerIntegration : M&A後の統合作業 )がもっとも難しいと書かれていたが、これで終わったという明確な基準はなくセンシティブなところでもある。総じて大廃業時代に突入しているのは事実で、買収することで個人レベルのスキルを活かして自らも経済的にハッピーになるのは同意するけど、方法論はほかにもあって事業の本質はファイナンスだけではなくて事業そのものにあると思う。財務的な観点での正解がかならずしも事業の正解にはならない。

*「サラリーマンは 3 0 0万円で小さな会社を買いなさい 人生1 0 0年時代の個人M&A入門」三戸政和

** TRANBI
https://www.tranbi.com

 

消化試合

消化試合という言葉がある。ゲームの勝ち負けはもうわかっていてただ試合をしたという事実をつくるだけのためのもの。はたしてそれに意味はあるのか。意味はある。ルールに従って行われたという意味。敬遠は宣告すれば4回投げなくともフォアボールにできるという特別ルールができた。これも塁に出すとわかりきっていながら、ルールだからということで4回ボールをわざと投げるの意味ないよねとみんなが同意してできた新ルールだ。すごくよい。無駄なことはやめようの精神。ボールは投げなくていいけど試合はこなさなくちゃいけない理由はどこにあるのか。観客はどんなにつまらない試合だったかわかる。でも客観的な数字だけみれば試合が行われて勝ち負けがついた。ただそれだけ。確かにそれでも試合は試合なのでおもしろいと感じる観客もいるかもしれない。でももし全力を尽くして勝ち負けを決めるということがスポーツマンシップで紳士協定として認められるならば、消化試合は協定違反だと思う。
ゲームがあってルールがある。ルールを守ることが目的になるととたんにつまらなくなる。税務調査や会計検査は厳密にルールに基づいて違反していないかが問われる。基準が明確であればそこには感情は入らない。悪法も法である。悪法だからといって守らなくていいとなると法そのものの信頼性が損なわれる。仮想通貨の価格にバブルはない。すべて合理的に決まっており、価格はロジックで決まり極めてクリアだ。ルールに違反していれば追徴が課される。違反は次回に繰り返さないよう原因を特定し再発防止につなげる。ここまでやれば意味はあるが、既成事実を作るためだけに調査や検査を実施するというスタンスだとやる意味はない。知らなかったという理由で違反してしまうこともある。あとから発覚したとしてもストレスにならないよう精神的に追い込まれないよう戻せるプロセスを整備しておくべき。消化試合的な本末転倒な形式は生産的ではないので、できるだけ避けたいしやりたくない。

オートメーションの隙間

中西さんや戸田さんなどがサッカーの日本代表戦を戦術的に分析している動画(*)がおもしろい。これによると、サッカーの概念は四年前とはまったく変わってきてきて、アメフトとかラグビーのようになっているという。人の配置も相手がこうきたらこうするという自動化が徹底され、陣地を有利にとるために逆算されてオーガナイズされて試合に臨んでいる。ハーフタイムには前半で収集された10万件のビックデータがアナリストによって分析され、監督にソリューションの候補が提示され、後半に向けての指示が出され、前半と後半で戦術ががらりと変わったりする。当然、選手は急には対応できないので練習からデータが活用されそれに馴染んでおり、試合で再現している。トップチームにもなれば、アナリストは敵チームの5試合くらいをみて分析し、そのうえで今回どう戦うかという戦術を決め、組み立てられたプランどおりに選手たちに1週間で叩き込む。プランBだけでなく、自分たちも分析してされていることを前提にプランCやプランDまで用意している。こうきたらかこうくるというのをパターンとしておいており、ここまでやるのかというくらい。個人に求められるタスクが高度になり過ぎると選手が表現しきれなくて、試合を客観的にみた人間がいまいちに感じられても裏ではそうとう準備していたということもあり得るそうだ。
ここまでくると、試合前から試合結果が決まってしまうのではないかと思えてくるけどやはり敵がいるゲームなので、チームの決まりごとを前提としながらも、個人としての瞬発的なリアクションが勝敗を分けたりする。オートメーションは日本人は得意としているものの、それにこだわり過ぎるのもよくない。例えば、自分のマークをつくことにこだわり過ぎてシュートブロックにいかず失点するというのはやっぱり本末転倒で。どこまでがチームの戦術で迫られたときに個人の判断で勇気を持ってルールを逸脱するか。いかなきゃいけないときはある。戦術どおりに崩して点をとれれば美しいけど、実際にはどこかで少しバグというか、偶発的な事故が発生して得失点になる。セットプレーではなく、流れのなかからうみだされる計画された計画外とでもいうべきオートメーションの隙間は、ほんとうに美しい瞬間。


* 0014 catorce 「この度、新しいサッカー動画コンテンツを立ち上げることになりました。 これから随時、日本サッカーが「進化」「深化」するヒントになるようなコンテンツを配信していきます。」
https://m.youtube.com/channel/UC7N1aavBc7wAoTsI4eP0BiA