なにそれ経営者のブログ

仕事と彼女と人生観

適者生存とイノベーションの話

「きずなと思いやりが日本をダメにする」を読んだ。進化生物学者の長谷川先生と社会心理学者の山岸先生の対談本。とくに、第2章「サバンナが産み出した『心』」で、進化論の話はとても示唆的で、社会的な仕組みの設計や環境のデザインなど、もやもやと考えていた自分にとって、ささる箇所がいくつもあり。進化論はイノベーション論としてもそっくりそのまま言えるかと。

◯進化は仕組みによって起きている
◯目的をもって進化したわけではない(特定の形質は偶然の産物)
◯適性は事後的にしかわからない
◯種に優劣はない(生物はみな適者)
◯適応できなかった種は残らない(進化の背後には試行錯誤の繰り返しがある)
◯違う環境でも発達する
◯環境があれば受容できる
◯進化は個体レベルで起きている

日本の中小企業が、これまでに培われた技術を活かして、異業種から新分野に参入しようとしたとき、どうしても技術オリエンテッドになりがちで「こんなことできますが、何か応用できませんかね」と聞くことがあるけど、それで「ああそれなら、これに使えそうだよ」なんて単純にはいかない。そんなふうに表面的にみえている特徴だけをみせたところで、ヒットする確率なんて0に等しい。逆にすごい技術であればあちら側から引き合いがあり、設計書だけ渡され、何に使われるかもわからないまま完璧に品質や納期を守り、値段を叩かれながら取引させられる状態におちいる。そして付加価値はマーケットサイドの企業にもってかれている(例えば、iPhoneの部品点数の6割が日本製らしいが、日本企業の利益は全体の5パーセントとか言われている)。

そうならないよう、中小企業から技術提案するのならば、たくさんの持ちネタを用意しておいて、量的に攻めたほうが結果的にはヒットする。どんなシーズがどのニーズに応用できるかなんて、事前に誰もわからない。たしかに、いま見えているニーズに、つながりのなかった企業がぶつかればヒットして、短期的には喜ばれるかもしれないけど、そんなのは単なる情報格差をお金に換えているだけで、ぼくらがやりたいことはそうではない。人と人とが出会うことによって、偶発的に「あ、それならこうしてみてはどうか」と双方で共創し、発想の飛躍を起こす。目の前の売上に追われている人たちにとっては、偶然にまかせるなんてそんな余裕はないのは承知のうえで、人の創造力にアプローチすべきだと思っている。
かなりコンセプチャルな話にはなるが、日本企業の競争力の源泉は、どこにでもいる従業員の発想力や創造力である。日本には1人の天才によるイノベーションは起こしにくいが、誰かと誰かがつながることによってみんなでイノベーションを起こすことはできそうな気がする。これまでの歴史がそうだったから。ポテンシャルを引き出すためには、仕組みの設計や環境のデザインがいる。適者生存は「結果的にそうなった」という考え方だが、もし結果を戦略的に起こすことができたとすれば、その戦略家ができあがったゲームにおいて優位に立つことは自明。

本気かブラフか

東芝さんは何を守ろうとしているのか。いまの経営陣はだめだったんだから「おれたち無能でしたごめんなさい、だから外から代わりの人連れてきます、後はよろしく」で経営に執着しないほうがいい気がするんだけどなぁ。難しいカードをあえてきっている。結論は出ていながら、少なくともそのプロセスをふんだことで反対勢力に「だから言ったでしょ、だめだって」と抑え込むための事実を作っているのか。そうせざるを得ない背景要因が絡み合っているのか。それとも、本気で抱き合わせで本体への資金援助をしてもらおうと思っているのか。強引に進めればわだかまりは残るけど、いつかはわかってくれるはず。というかそう思い込むしかないのでは。個人的には殴られてじわじわ残るよりスパッと斬られてはやく完治するほうが好き。痛みの種類はさることながら、その痛みを誰が負うのか、そして最終的にだれを守るのか。守りたいのか。取締役会ではどんな会話がなされているのだろう。コンフリクトしたとき、どうにか前に進むために権力がある。権力は正しく使えば機能する。決めはど真ん中でシンプルにいったほうがいい。

デザイン思考

誰かが考えた仕組みで動くのか。自ら仕組みをつくるのか。客の要望にこたえるのか。客をついてこさせるのか。後者のほうが明らかに競争力がある。お金を稼げる。ゲームのルールを変えたものにだけ、集まる情報があり、依頼される案件がある。
仕組みを変えようとしている過程では、ちょっとずつ萌芽がみえはじめる。今までと同じやり方で刈り取ってしまうと育たない。仕組みが完全に近づくまでは、どちらかといえば萌芽が自発的に育つよう環境を整えるほうに注力したほうがよい。手を掛けるとリソースがいくらあっても足りなくなる。
臨界点をこえれば、勝手に誰かが攻略法を考え出して、自分たちの外の力で動き出す。多くの人間が関わり出せば従わざるを得ない。それが社会の流れであり、その流れは誰かによって仕掛けられている。競争をしているやつらより、競争をさせてるやつのほうが強い。
仕組みを設計した人間は、なぜそうなったのか。なにがうまくいって何がうまくいかなかったのか。すべてわかる。できた後に関わる人間は、外からみればどちらも同じようにみえるけど、考え方までは引き継がれない。仕組みの本質が理解できていないと、その仕組みを育てることはできない。

個別事象と全体最適(続き)

組織を成長させるためには、細かいとこには目をつむって全体最適が大事だとついこないだ書いたばかりだけど、世の中的にはトランプが完全に局地戦に持ち込んでいて、もしかしたら全体最適なんていう価値観は確かに理想的ではあるけど、全体がデカすぎる場合には、現実的な解決策ではないのかもと思えてきた。多国間交渉より二国間交渉のほうが優位に立ちやすいし、相手をコントロールしやすい。限定的な関係者だけに絞れば、問題もクリアになる。複雑なグローバリズムの観点ではネガティヴな政策も、少なくともアメリカの白人中間層にとってはポジティブ。歴史の積み重ねによって築きあげられた崇高な理想は、大統領令の連発によっていとも簡単に崩され、確かに大事だよねという倫理観はなかったかのごとく無視され、超限定的な現実路線がしかれている。20世紀に戻ったなんて否定的に言われているけど一周まわって逆に新しい。

船が沈みかけたとき、全員助かる道を選ぶか、自分だけ助かるように動くか、自分は犠牲になって誰がを助けるか、みたいな正義論でいえば、自分だけ助かる、そのためには相手を潰すこともいとわないという選択。全体の問題が難しくなってきて動きが鈍いので、さっさと一抜けして、小さな成長を改めて作り直す。全体からみれば細胞分裂みたいなもんで硬直的な世界に新たな生命を吹き込むという意味では言うほど悪くない。

個別事象と全体最適

個別事象をみればうまくいってないものはある。そらそうだろう。人のレベルはまちまちなので、全員がハイクオリティでできるとは限らない。そもそも新人が10年選手と同じクオリティを出そうとするのは無理。だとすると、新人にクオリティを要求して根性論でのりきろうとする時点で破綻している。破綻しているものが普通だと思われていることほど不幸なことはない。
全体として一定程度のクオリティを担保するには、仕組みを変えるしかなく、その仕組みのうえで動く人間に罪はない。おそらく使う側と使われる側はこうしてできていくのだと思う。システム的にカバーする、個人のレベルによらない仕組み、個人どうしが補完しあえる仕組み、最低レベルの人でもなんとかなる仕組み。そういう仕組みを設計するのが使う側であり、マネジメントの責任なのかもしれない。そしてどんなに優れた仕組みでも、ダメなパターンは出てくるわけで、そういうところに気を取られず、結果、全体としてはうまくいっている、という状態を作り出すこと。狭い範囲がどうしても目に付き、その場で対処してしまうと全体を見失う。個別最適はきりがない。組織的にはむしろダメなやつでも活躍できる組織のが強い。

考えるとは引き出すことである

いわゆる専門家と呼ばれる人たちにいろいろと教えを請うことがあるが、実際、彼らはどのくらい考えているのだろうか。過去の経験から知識をひっぱってきているだけで、経験がない、知識がない立場からすればすごいことをしているように感じられるけど、実際には頭を使っていない可能性がある。知ってる知識をつかってパターン認識しているだけ。
だとすると、その人である必要はほとんどないし、固有の問題解決にフィットしないこともある。もし自分が新しい何かをやろうとしていて、自分が知らなかったという理由だけで、専門家の意見に引っ張られたとすると、これほどもったいないことはない。自分のオリジナリティが既定路線に軌道修正されるリスクは計り知れない。
たしかに物事に要諦はある。その道のプロはいる。いるけど、いま現在のプロであって将来のプロではない。過去のプロはもっと最悪で、経験値を売っているに過ぎない。
考えるとは、考える前には埋もれていた新しい何かを引き出すこと。考えることによって、過去と現在に勝てると信じている。

キャッシュインパクト(続き)

人は誰かに感謝されると気持ちがいいという反応がでるよう組み込まれている気がする。ビジネスの場合、感謝がお金に換算され、お金の大小で感謝の度合いか表現されている。コンサルティング的に企業に関わる場合、売上を伸ばすと感謝される。利益をつくると感謝される。その数字をもってして感謝される仕組みができあがっている。お金を介して契約をする以上、クライアントへの貢献度合いは、どれだけキャッシュにインパクトを及ぼしたか。これに尽きると思う。コンサルタントの報酬として、成果ベースのパーセンテージという決め方は正しい。それと、誰かの役に立っているという実感はお金を動かせば、直接的に感じられる。いい仕事は成果を出してこそ。